ドイツの躍進、そしてEUは今

March 14, 2018 | Author: Anonymous | Category: N/A
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司会(講師紹介):漸く春の陽気になってま

(講演の抄録)

いりました。 第57回新三木会講演

本日は、ヨーロッパの話となりますが、200 名をオーバーする御参加をいただきました。 これは秀逸の講師陣と3月に来日したメルケ

ドイツの躍進、そしてEUは今

ル首相のお陰もあると思われます。 本日は、ドイツが第2の故郷ともいえる早 瀬先生と、10数年前EU特命全権大使として

早瀬 勇[1]

活躍された朝海元大使にお話頂きます。ま

横浜日独協会会長 元金沢星稜大学学長

ず、第1部・ドイツの躍進と題して早瀬先生に、 ドイツの過去・現在を語って頂きます。[2][3] 早瀬先生はプロフィールにございますよう

朝海 和夫

[2]

元 EU特 命 全 権 大 使

に、樺太に御生まれになり、名古屋で育た れました。大学では、後に、岳父ともなられる、 板垣与一先生の国際経済のゼミで学ばれま

2015年4月16日[3] (於如水会館松風の間)

した。 お仕事は大きく3つに分かれ、最初は為 替専門銀行として名門の東京銀行に入行さ れ、ドイツを中心として留学、バンキングに従 [2]

[1]

早瀬 勇 (はやせ いさむ)氏 1935年樺太・豊原市生れ。名古屋市立菊里高 等学校、一橋大学経済学部卒 (S34)。 59年東京銀行入行、西独ゲッティンゲン大学 留学、 東京銀行フランクフルト支店為替・資金 課長、ルクセンブルク東銀副支配人、豪州東京 銀行取締役など歴任。国連Buffer Fund国際天 然ゴム機関(クアラルンプール)日本政府代表代 理、国際錫理事会(ロンドン)日本政府代表代 理。 91年鹿島建設(株)国際財務部長、同ヨーロッ パ社取締役副社長. 鹿島本社顧問。 2001年金沢経済大学(後に金沢星稜大学に名 称変更)教授、同国際交流センター長、同大学院 教授、04年金沢星稜大学学長就任(2008年任 期満了)。 PFI関連役職として、法務省喜連川社会復帰促 進センターPFI事業者選定委員長(完成)等を歴 任。1965年度海外協力強調運動懸賞論文『海外 経済協力の重要性とわが国の役割』で内閣総理 大臣賞受賞。 詳細は講演参考資料(以下「資料」という)参照。

朝海和夫 (あさかい かずお)氏 1943年東京都生まれ。62年栄光学園高等学 校卒業、一橋大学(商)入学。65年外務省入省。 外務省から米国アマースト大学に留学(67年卒 業)。75年パリOECD代表部(IEA担当、石油ショッ ク直後)、77年中国大使館(日中正常化直後)、 84年シンガポール大使館、86年カナダ大使館、 89年在ジュネーブ国際機関代表部(ウルグアイラ ウンド貿易交渉)。98年ミャンマー大使、03年ブラ ッセルのEU代表部大使。 なお、81年北米局課長(自動車問題など)、82 年外務大臣秘書官(安倍晋太郎大臣)、93年経 済局審議官、95年国際社会協力部長(国連)。 2000年環境問題担当大使(京都議定書など)、 シンガポールとの経済連携協定交渉の日本政 府代表。05年退官、立命館大学客員教授などを 経て霞関会理事長、顧問(現在)。 [3] 04月16日に行われたこの講演の内容を新三 木会の「抄録」として収録したが、正確を期すよう 記録するとともにできるだけ臨場感を残すように 努めたため、やや「詳録」に近いものとなっている。 小見出しと脚注は「資料」を参考に記録者が適 宜付した。

事された銀行時代、次に鹿島建設の国際部

真似たくないものもございますが、今日はそ

門で活躍された時代、そして最後は金沢の

のうちでいいところを見付けて、それが日本

大学で教授となられ、学長を勤められた教

の国益に活かせるかどうか、そんなことを皆

育者の時代であり、現在は、横浜の日独協

様とご一緒に考えてみたいと思います。

会会長として日独交流、親善に貢献されて

はじめに

おります。 いつも笑顔を絶やさず明朗実直な先生で、 本日受付販売しております「紙つぶて」という

さて今日のお話のポイントはお手許レジュ

新聞連載の珠玉の随筆集をお読み頂けれ

メに書きました3つの点であります。

ば、文章は人なり、お人柄もよくご理解頂け

第1は、体験的ドイツ人論です。若い頃東

るものと思われます。それでは早瀬先生、宜

京銀行から派遣されまして、ドイツのゲッティ

しくお願いします。

ンゲンという町の大学に入りました。そこに、 今は語学校になっていますが、大きなフリー トヨフ・ナンゼンハウスという国際学生寮がご ざいまして、160人位の男女の学生が入って

第Ⅰ部

おりました。ルールは必ずドイツ人1人と外国 人1人が同じ部屋で暮らすというものでした。

ドイツの躍進

とにかく四六時中ドイツ人のやっていることを 見、私の下手なドイツ語を直され、彼がどん

講師(早瀬 勇 横浜日独協会会長、元金沢

な生活をするのかということをつぶさに見て

星稜大学学長):ここは結婚式場だそうでご

おりまして「ああ、これがドイツか」ということを

ざいまして、私事で恐縮ですけれども、半世

何度も思わされたことがございます。

紀ほど前に私もここで挙式致しました〔笑〕。

次は、日独両国は同じ敗戦国なのに何故

只今過分なご紹介を聞いておりましてその

今ドイツと日本とではかなり大きな隔たりがで

時の仲人さんや来賓のご祝辞を思い浮かべ

きたのか、この原因は何なのか。日本はドイ

まして恐縮致しております〔笑〕。

ツから何か参考にして学ぶことがあるのかど うか。その辺のところをお話したいと思いま

今日は、朝海元EU大使の前座ということで 漫談をお話しますので気軽にお聞き頂いと

す。 第 3 番目は、ドイツと日本は非常に古い友

思います。 私はドイツにいろいろ関わって参りましたが、

好関係がある国でございまして、154 年も前

全てドイツがいいとは思っていませんで、最

独修好条約というものが結ばれてそれ以来

[4]

ほとんど喧嘩をしたことがないという国なので

近ではジャーマンウィングス とかいろいろ

す。ただ、ドイツの租借地であった青島を第 [4]

ケルンに本社を置くドイツの格安航空会社。 2015年3月24日に西・バルセロナから独・デュッ セルドルフに向けて飛行していた同社の旅客機 9525便がフランス南東部のアルプ=ド=オート =プロヴァンス県に墜落した。

1次大戦時に日本と英国が攻撃し、その後 青島を預かったことがございます(1922 年中 国に還付)。 2

それでお互いに価値観を共有していると

とを仰っていましたけれども、フランスが結局

思ってやってきたのですが、最近どうも日本

「大人」だったのですね。フランスが、非常に

に対してドイツはあまり熱くない。どっちかと

戦後叩きのめされたドイツを国際社会に復

いうと中国の方に傾いている。これは何故か、

帰するために助けてくれた。これは最初アデ

ということもお話したいと思います。

ナウアーとドゴールという2人の指導者です

最後にこれからの礎になる若者の国際交

が、そこから始まりまして、もう歴代の指導者

流、これがどうあるべきかということで話をまと

がいずれもドイツとフランスの和解なくしてヨ

めたいと思っております。

ーロッパの繁栄はないということで、そういう 意味でフランスが非常に大人だったというこ

ドイツ人が好きになれない国

とが言えると思います。

これはレジュメには書いてございませんが、 ドイツにも「どうしても好きになれない国」とい

それから第2次大戦後ドイツが好きになれ

うのがございます。

ない国はどこだったかでしょうか。これはロシ

これはどこかお分かりでございましょうか。

アでございます。これは第2次大戦末期にソ

60~70年前は、これはフランスでありました。

連軍がベルリンに入ってきまして乱暴狼藉を

フランスとドイツは本当に不倶戴天の敵とい

働きました。これは凄まじいものでして、私の

う関係で、非常に象徴的なのはヴェルダン

職場の先輩がベルリンの大学に留学してい

の戦いで、ドイツとフランスの兵隊が70万人

る時にお世話になった下宿のおばさんが自

の死者を出したのです。これはミューズ川を

分の体験談として話していたのですが、「私

挟んだ10ヶ月に亘る攻防でございましたけれ

達の年代の女性は皆ソ連の兵士にベッドに

ども、そのヴェルダンというのは、私が住んで

縛り付けられて辱めを受けた」という話をして

おりましたルクセンブルグから車で数10分の

いた。体験談でございますから確かでござい

ところでして、行ってみますともう大変な写真

ます。このお話はソ連はズットと占領軍でし

が出ております。見るも無残な死屍累々とい

たから、表に出ませんでした。それが2002年

う言葉がございますが、本当にドイツとフラン

になりましてイギリスで『ベルリン陥落1945』[5]

スの兵士の死体が重なりあって大きな山を

という本が出まして、そこに詳しく書かれまし

作っているという、大変凄い写真を見ました。

た。今のイスラム過激派の集団と変わらない

怨念の象徴なのです。

暴行をソ連兵がやっていたということで、今

これが戦後、ズットと時が流れて、コール首 相とミッテラン大統領が戦没兵士の墓の前

[5]

1954 年、ドイツ人女性(1911-2001)の手記がアメ リカ合衆国で出版された。1959 年に署名入りで、 西ドイツで出版されたが、手記をまとめた女性に 対して非難が起こった。彼女の死後署名を明か さないということで再出版となる。日本語訳では 白水社から 2008 年に『ベルリン終戦日記―ある 女性の記録』が出版されている。2008 年にドイ ツ・ポーランド合作映画『ベルリン陥落 1945』が作 成された。原題は"Anonyma–Eine Frau in Berlin" (匿名 - あるベルリンの女性)。

で手を繋いでお辞儀をした。花を捧げたとい うことで、まさにこれがドイツとフランスの怨念 の象徴であり、今は和解の礎になっているわ けでございます。 あいだ

この間メルケルさんがいらっしゃいましたが、 結局ドイツが近隣の国に助けられたというこ 3

のロシアもそうですが、ドイツ人にとっては忘

このプーチン―メルケルの会話を一番知り

れられない大変野蛮な民族だというふうに思

たがったのは他ならぬオバマ・アメリカ大統

われているわけでございます。

領ですね。ここで盗聴事件が起こりました。こ

さて時が下りまして今ドイツとロシアはどん

のアメリカの盗聴事件によりまして、ドイツの

な関係にあるかといいますと、象徴的なのは

対米不信というのは拭えないものとなったと

メルケル首相とプーチン大統領の電話会談

言われております。

ですね。これは昨年の後半、プーチン大統 領は盛んにメルケルさんに電話を入れまし

1. 体験的ドイツ人論

て、11月の場合は40回もの電話交信があっ たそうでございます。何語でやっているかと 言いますと、これはドイツ語でやっているの

(1) 論理性が絶対基準

ですね。プーチンさんはKGBの情報将校とし

先程申しましたように、フリートヨフ・ナンゼ

て東独のドレスデンに5年間駐在しておりま

ンハウスという大きな国際学生寮で生活しま

して、外国人離れした素晴らしいドイツ語を

したのですが、とにかくドイツ人の学生はよく

話すそうでございます。昔でいういわゆる「ス

自己主張をします。彼等の一番大事にして

パイ」だったですから、スパイがたどたどしい

いるものは「論理」ですね。ロジック(LOGIK)

言葉では情報が取れませんから〔笑〕、上手

です。ロジックさえ通っていれば何を言って

い筈です。今プーチン大統領はメルケルさ

もよい。そういう雰囲気でございまして、談話

んと自由にドイツ語で会話が出来る。メルケ

室が12時に閉まってしまうのですが、こちら

ルさんもドイツのライプリッヒで育って勉強し

が納得しないと部屋まで来て、喋りまくる。

た人ですからロシア語が理解できるということ

彼等は小学校の時からこういう訓練をして

で、この独ソ両首脳は歴史上初めての非常

いるのです。学校の教科にDebatte(英語で

にホットな間柄だと、会話の上では言われて

いう debate)というのがあります。

いるのですが、しかしプーチンさんが頼み事

最初にあるテーマを決めて本人の意図と

をしているのは、明らかに「クリミアを独立さ

は関係なく賛成、反対に分けられて、賛成

せたことを理解してくれ」とか、あるいは「親ロ

派に入った人は反対派の攻撃をするのです。

シア派のウクライナ軍が東部を占領している。

逆の方も徹底的に攻撃する。その時に勿論

あれは我々がやっているのではない。彼等

理論構成を皆で考える。こういう訓練を小学

がやっているのだから理解してくれ」と、こう

生からやっているわけですから、彼等にとっ

いうことだったのでしょうけれども、メルケル

て論理というのは「命」というふうに言っても

首相としましてはそれを「うん」というわけには

いいと思います。

いきません。EUのリーダーとして「対露経済

日本では「KY」(空気を読む)という言葉が

制裁を続けます」ということをはっきり仰った

あります。我々の年代の時はあまり言いませ

ようでございます。私は直接聞いたわけでは

んでしたが、空気を読める人が今仲間から

ございませんが、大体そういうことのようであ

好かれる。そして取りまとめ役になると言わ

ります。

れています。この間亡くなりました詩人の吉 4

野弘さんという方がいらっしゃいます。彼の

言うのですが、私は、日本人はそれを聞いて

書いた、よく結婚式の披露宴で引用される

取捨選択すればいいと思っておりますし、日

祝婚歌という詩がございます。その中で一番

本人とドイツ人の思考経路は違うのだという

私の胸に中でグッと来るのは「正しいことを

ことを分かって貰う、これが大変大事ではな

言うときは少しひかえめにするほうがいい。

いかと思います。

正しいことを言うときは相手を傷つけやすい ものだと気づいているほうがいい」と、こう言う

(2) 自由と自己責任

のです。二人が睦まじくいるためにはそうい

次に感じましたのは「自由と自己責任」でご

う空気の読み方が、これが大事だということ

ざいます。兎に角ナチス・ドイツがあれだけ

を言っているのですが、当時のドイツのエリ

統制的な政治をやってきたわけですから、

ート学生達は全く逆でございまして、「正しい

全ての統制を撤廃しようというのが戦後のド

ことをいう時は相手の欠点を徹底的に追求

イツの第1の目標でございます。

した方がいい」〔笑〕、「過ちはその場であら

兎に角自由である。我々は全く自由だ。だ

ためさせる方がいい」〔笑〕、こういう姿勢だっ

けど自己責任ですよ。この自由と自己責任と

たのです。

いうのが戦後の国民の常識になったわけで

今でもこういう政治家はドイツにおられます

ございます。

が、本質は、これは意地悪でも個人攻撃でも

日本ほどではありませんけれども、アメリカ

ないのです。彼等の言うことは「こうすればう

の教育が非常にドイツにも影響しておりまし

まくいくよ」という、一種の「処方箋を教えてあ

た。権威に反対する教育というのが小学校、

げます」という、そういう態度なのです。

それからジムナジウムなどでも行われていま

ですからこの間メルケルさんが帰ってから

した。要するに親が高い目線で子供に命令

いろいろ日本の新聞が「ドイツと日本の友好

するというのは駄目なのだ。そういう教育で

関係に傷がついた」とか書いていましたが、

すからだんだん子供がしつけの面で難しくな

メルケルさんはそんなことこれっぽっちも思

ってくるのですね。レジュメに反権威教育と

っていません。「私のいうことを聞いてくれれ

いうということで参考書を書いておきました。

ばいいし、聞いてくれなければそれでいい」

その反権威教育の狙いは分かるのですが、

ということだと思います。

後遺症が出て参りまして、どうしても子供の

兎に角ヨーロッパの人達は首脳同士で集

自由放任が大きな問題を引き起こすことにな

まって話をする。そこである程度の合意が得

って来ています。

られればそれを持ち帰って、国の国会を説

そこで登場しましたのがこのエリート校の校

得するというやり方ですから、首脳が非常に

長先生のボエブという先生で、この方は「とく

大きな力を持っているのです。そういう意味

に男の子の教育、これはしっかりやらなけれ

で「まあ、安倍さんに話しておけばいいだろ

ば駄目だ。将来社会のリーダーになる男の

う」と思って話したのかも知れません。

子は弱者への優しさとか友情というものを身

日本人はウェットな性格ですから、そういう

に付けた人でなければ駄目だ」と言っていま

ことを言われると「内政干渉だ」とかなんとか

す。これはドイツ語で””Hilfsbereitschaft”、 5

誰でも助けてやる用意があるという言葉です

次にドイツ人は「森の民」と書きましたが、

が、そういう厳しい教育が男子には必要だと

週末になりますとドイツ人は必ず森を闊歩致

言ったわけです。

します。前の晩遅くまで私と議論をしていた

女性はどうか。これは日本だと、これは途

ドイツ人の学生が朝ドンドンと部屋を叩きまし

端に男女機会均等とか何とか言い出して、こ

て「イサム、起きろ!」と言って散歩に行こうと

れは男女差別だというかも知れませんが、こ

いうわけですが、リュックサックに黒パンのか

の校長先生によりますと「女性というのはもう

けらとそれからしなびたりんごを入れまして、

生まれつき優しさを持っているのだ。子供を

それで森の中を兎に角歩くわけです。ドイツ

養う、弱い子供を育てる、そういう本能を女

人は本当に森が好きだと思いました。

性は持っているのだ。だから女性はとくに教

私が羨ましく思いましたのは、ドイツの森と

育しなくてもいいのだ。男の子は教育しない

いうのは私有林でも公有林でも下草がない、

と将来リーダーとしてやっていけない」という

灌木がないのです。そして作業道がちゃんと

ことで大変厳しい男子教育を主張したわけ

作られているものですから、市民は誰でも無

です。

許可でどこまでも入っていけるのです。これ

一寸日本とは違いまして、ドイツの公立小

はもう素晴らしいと思いました。

学校では午後は授業はありません。このエリ

だからゲッティンゲン大学には森林学部と

ート校の校長先生は「午後もやるべきだ。何

いう学部がございました。ある日私食堂で食

故なら男の子が午後べったり家にいると母

べていましたら、緑色の制服制帽を着て軍

親が溺愛する〔笑〕。これは男の子をうまく育

靴のような革靴を履いた一団の連中がやっ

てない」ということでございます。ちなみに溺

て来ましてテーブルを占拠したのです。私は

愛というのは日本では「猫かわいがり」と言い

びっくりしまして思想問題で官憲が入ってき

ますが、ドイツでは「猿可愛がり」

たのかと思いました。隣のドイツ人学生に聞

(Affen-liebe)でございます〔笑〕。

きましたら「やあ、あれは軍隊ではないよ。あ

もう一つ自己責任の方は、これはもうどこで

れは森林学部の学生なんだ。大学入試の上

も生活圏の中で見られのですが、「どうぞ自

位だけが入れるエリート集団なのだ」というこ

己責任で」という”Auf eigene Gefahr!”という

とでびっくり致しました。

言葉がしょっちゅう使われております。例え

その人達が何をやるかというと、森林官と

ば「この池、中に入ってもいいですが自己責

いうのになったり、あるいは環境問題を研究

任ですよ」ということで、日本のように子供の

したり、それから木材業者になったりする。そ

事故で責任を自治体とか学校などに負わせ

ういう人達を育成する学部なのです。

るような、そういういわゆるモンスターペアレ

今から3年前になりますが横浜にテレビ神

ントというのはドイツにはいない。「家庭の教

奈川という地方局がありまして、そこが「環境

育でしっかりやって下さい」というのが原則で

先進国ドイツに学ぶ」という番組を作るので

ございます。

是非協力して下さいというので、私は向こう のアポイントメントも取り付けて取材に同行致

(3)ドイツ人は「森の民」

しました。その時にフライブルク大学の森林 6

学部を訪問しインタビューをしましたが、そこ

を全部入れているのです。ですからそのイン

のバウフスという森林学部長は非常に意気

フォメーションが集まってドイツ全部の森林

軒昂で「私達の教え子がやっている森林学

がコンピュータ管理されています。これは全

というのが最近ドイツでは大変な人気で、テ

く日本とは違う点です。

レビの連ドラの主役をやっています」というこ

日本は木材の8割を輸入に頼っているので

とをまずおっしゃいました。

すが、それでは日本の国内で森が大事にさ

それから私は大学勤務時代、経営にも

れているかというと、もう荒れ放題のところが

タッチしていたものですから、「この大学の予

ありまして、採算が悪いというので放置され

算の大体何%をお宅の部で使っていますか」

ている森が沢山あります。 地震や風水害がこれだけ多発する日本で

なんて意地悪な質問をしましたら「11%です」 と胸を張っておっしゃいました。非常に大事

何故もっと豊かな森林を増やして行かない

にされている学部だなということが分かりまし

のか。強靭な国家を作るためにそれを優先

た。ちなみにドイツには森林学部というのは

しないのか。そして人材も森林学部のような

一流大学に 4 つございまして、これは農学部

ところでどうして、例えば京都大学とか東京

とは全く別にあるのです。今言ったフライブ

大学とかいう総合大学が何故そういうエキス

ルク大学、私の行っていたゲッティンゲン大

パートを養成しないのか。それを非常に残念

学、ミュンヒェン大学と旧東独のドレスデン大

に思います。

学、この4つの総合大学に森林学部がござ います。

(4)ナチズム論議を避ける学生たち

ドイツは森が有名ですが、実は日本の方が

留学しました時は戦後もう19年経っており

森は広いのです。日本の森林率と申します

ましたが、ドイツ人のナチス・ドイツに対する

か、日本の国土を森林が覆っている率は

思いというのは非常に暗いものでして、学生

69%、ドイツは31%です。日本は2倍あるの

達も多くを語りたがらない。こちらがいろいろ

です。しかし木材の生産では日本はドイツの

しつこく質問しても「まあ、いいじゃないか。

2分の1か、3分の1に近い位しかありません。

あれは基本法の第1条で人間の尊厳は不可

先程作業道があると申し上げましたが、ドイ

侵であると言っているし、それからヒットラー

ツの森は作業道がうまく作られていますから、

を礼賛すれば罰になるし、もうそれでいいじ

ハーベスターとかフォアダーとか、重機が入

ゃないか」というふうなことでありましたけれど

って行けるのです。ですからそこで伐採も自

も、私がゲッティンゲンを去った後、1968年

由にできる。

に全学的な「自分達のお祖父さんとかお父

それから何よりも素晴らしかったのは、森林

さんはナチスとどうか関わったか」という聞き

官が端末を持っていまして、自分が担当して

取り調査がありました。そういうことがあって

いる森の1本1本を全部端末でインプットして

学生の間でも非常に戦争犯罪に対する反省

おります。高さがどの位で、これはいつ頃出

が盛り上がってきました。

来たものだ。これをハーベストする(刈り入れ

お読みになった方がおられるかと思います

る)のは何年頃と予測されるか、そういうこと

が、ハンナ・アーレントという人が「独裁体制 7

の下での個人の責任」を本の中で書いてい

ベルリンに蘇ったヒットラーが戦時中の演説

ます。

口調で現在の風潮を批判する非常にコミカ

1970年にヴィリー・ブラント首相がナチスの

ルなものでございます。

犠牲になりましたポーランド人の墓に跪いて、

それが何故ドイツで受けたかと申しますと、

そこで謝罪をしたというその光景が写真入り

これは決してドイツ人がナチスのやったこと

で世界に流布されました。目から入った記憶

を正当化して「よくやった」と言ったわけでは

というのはなかなか忘れられないものなので

なくて、ドイツの国民には既に自覚ができて

すね。聞いたことよりもずうっとあとに残りま

いて、かつての全体主義に逆戻りするそうい

す。

う危険を押さえ込む力が国民の中に醸成さ

さらにそれから15年経った1985年、敗戦40

れているのだと思いました。3年前私はこの

周年の年にヴァイツゼッカー大統領が議会

本が日本でもベストセラーズになると予言し

でナチスの蛮行に対するドイツ国民としての

ましたが、まだなっていないようでございま

「事実確認」というのを国会で述べたのです。

す。

これは日本的には「謝った」のですが、事実 確認をした。そしてドイツの代表として先人

(5)外国人労働者問題

の遺産をドイツ国民が引き受けるということを

もう一つの右傾化と申しますか、外国人労

明言したのです。それが世界に報道されま

働者問題がございます。顕著な例は、外国

して「ドイツは懺悔している」というふうに世界

人労働者を排斥する運動ですが、これは各

は受け入れたのです。

地にございます。しかし外国人の労働者を

「謝罪」という単語は使っていないのですが、

受け入れなければドイツの現在はないわけ

そういう遺産を国民が悔い改めながら引き受

でありますし、大変な重要な役割を果たして

けるという覚悟を述べた歴史的な演説だった

いるのです。

のです。これを議会でやりました。

今ベルリンだけでも、トルコ人は10万人を

ブラントは眼に訴えて、そしてヴァイツゼッ

超えております。ドイツ全土では281万人のト

カーは耳に訴えた。大変大きな反響を与え

ルコ人がおります。これは本国の第3の都市

たのでございます

のイズミールが人口337万人ですから、ドイツ はトルコ第4の都市ということになります。

今ドイツ人はヒットラーが好きかどうかという

しかし移住外国人を全て自国に不利だと

問題ですが、これはかなり世代も変わってお

断定するのは、これは当然ながら間違いで

りまして、ヒットラーに対する関心は薄れてお

すね。失業者とか未熟練の若者には、外国

りますけれども、3年前に『帰ってきたヒトラー』

人労働者というのは許し難い存在かも知れ

[6]

という本が出ました 。これはなかなか面白

ませんが、国全体としてはメリットがございま

い小説でベストセラーズになりました。私も早

す。専門知識を必要とする分野での人材補

速買って読んでみたのですが、67年ぶりに

給ということでもあるわけでございます。 2013年の1年間に外国人が52万人も増えて

[6]

森内薫訳『帰ってきたヒトラー 上下』(河出書 房新社、2014/01)

いるのです。これは難民申請もあります。シリ 8

アとかアフガニスタンからドイツに集中してい

主義的という意味ではなくて社会的なので

るということもあります。外国人と共生してい

す。社会的市場経済というのは市場の調整

かなければ現在のドイツの姿というものは考

メカニズムと自由競争を基本としているわけ

えられないわけでございます。

で、これは経済学を勉強された方々にはとっ

ドイツへの移住者のうち大学卒業が3割を

くにお分かりのことと思いますが、これがドイ

超えていまして、過去3年間だけでも外国籍

ツの経済の復興を非常に支えた。カルテル

のお医者さんが1万人もドイツで増えておりま

規制などもドイツは非常に厳しかったわけで

す。また税金だとか社会保障費の担い手と

あります。

しても非常に大きな役割を果たしつつあるわ

このルートヴィヒ・エアハルトが経済産業相

けでございます。

時代に出した『全国民に豊かさを』という書 物、これはナチス・ドイツの統制経済を徹底 的に否定しただけではなくて、ソ連の計画経

2.

日独間の差異

済や社会主義の全体を否定するものでござ いました。

次に日独間の差異について申し上げたい

共同決定権など労働者の権利、これは政

と思います。

権が変わってSPD(社民党)になってから共

日独間で顕著なのは、何故同じ敗戦国な

同決定法というのが出来たのですが、これが

のにドイツはEUのリーダーになれて日本は

今思えばドイツでは格差が日本ほど騒がれ

そうではなかったのか。これは参考になるか

なかった一つの要因で、社会的市場経済、

と思いますが、

労働者経営参加のコンビネーションのお蔭 かと思います。

(1) 社会弱者も救うエアハルト首相の政策

(2) ドイツ最大の首相は誰か?

戦後の内閣で最も経済復興に力があった

「ドイツ最大の首相は誰か?」 それはコー

のはエアハルトの内閣だったと思います。こ

ルでしょう。 EUに加盟する、それから東西ドイツが統

れは日本にとっての朝鮮戦争に類似するか も知れませんが、ドイツでもそういう意味では、

一するという歴史上の大事件がコールの時

ソ連に対する連合国側の軍備拡張ということ

代にありました。ヘルムート・コールという人

がドイツの神風になっていたのであります。

は、戦後最大のドイツ首相だと私は思います。

そこでかつて戦犯でありましたクルップが、

民族の悲願でありました東西ドイツの統一を

彼は禁固12年を言い渡されていたのですが、

実現したのであります。 どうしてあの緊迫した中でドイツの統一が

僅か1年半で出所して再び兵器の生産に陣 頭指揮をとったというのが象徴的でした。

できたかというのは、これは非常に世界史の

戦後経済発展の基礎を作ったのがエアハ

中でも珍しいのですが、まずフランス、イギリ

ル ト で す 。 社 会 的 市 民 経 済 政 策 “ Soziale

ス、イタリアにつきましては、EUの加盟によっ

Marktwirtschaft”のSozialeというのは、社会

てドイツを封じ込めたいという気持ちがありま 9

した。そして最強通貨となったドイツ・マルク、

2005年の11.3%から12年には5.5%に下がりま

これを何とか放棄させたい。それからイギリス、

した。

アメリカ、フランスなどはNATOへの加盟によ

シュレーダーは、輝かしい、華々しい外交

ってドイツ軍の独自の拡大を防ぐ、そういう

実績はあげませんでしたけれども、社民党

懸念を払拭するということがございました。

出身でありながら経済政策とか労働政策で

これはドイツ自体にとっても非常にいいこと

は前任者を上回る手腕を発揮したと思いま

でありまして、NATOの中に組み入れられまし

す。社会民主党出身だから労働政策に切り

たからドイツが軍事国家として叩かれること

込めたと言えるかも知れません。

がなくなったのでございます。ゴルバチョフ

日本の失われた20年ということを顧みまし

のデタント政策というもののお陰でありますけ

て、日本とドイツとを比較しますと、この

れども、ドイツとソ連がここで駐留費の肩代わ

“Agenda 2010”という政策を実現するために、

りだとかいろんな交渉をしまして、何とか東西

労働組合とも党内の反対派とも非常に激し

ドイツの統一をソ連が反対しないという原因

い争いをしたこのシュレーダー首相の功績

になったわけであります。

は非常に大きかったと思います。

(3) 身を切る改革“Agenda 2010”

(4) EUの拡大、ユーロの確立

シュレーダーという社民党の首相は大変な

次にEUの拡大、共通通貨ユーロの確立、

辣腕の首相でした。日本の会社の役員会に

それから赤字大国ドイツの躍進ということに

相当する監査役会の半数を労働者にしよう

ついては、これを実現したのは現在のメルケ

ということで共同決定権、これは前から出来

ル首相でございます。SPD(社会民主党)と

ていたのですが、その共同決定権を手に入

の大連立がございまして、2005年に就任し

れて労働組合の発言権がますます強くなっ

ております。今3期目でございます。

ていました。このシュレーダーは社民党です

これは最近のことですので詳しくお話する

から本来は労働組合の全面的な後押しをす

必要はないと思いますが、要するにギリシャ

るかと思ったら、そうではなくて国際競争に

があれだけ経済破綻をしている。これをドイ

打ち勝つためには労働時間の短縮とか、そ

ツ人から見ますと、むしろ当然の帰結のよう

れから解雇の規制強化をやっていた今まで

に思われるのですね。あまり労働意欲もない、

の路線とは別に、彼は非常に自助努力を図

財政規律を守らないところが借金を増やして

る、医療費の補助なども減額する、年金も減

いって、まあEUの中にいるからという信用で

額するという施策をドンドンと打ち出したので

沢山借りまくっているけれども、あれは所詮

す。

無理な政策であったわけです。

失業率は非常に下がりました。ハローワー

ドイツ人は自然条件が厳しくて、生きるため

クに行って示された働き口を2度断ると失業

に技術を工夫して刻苦勉励してきたわけで

保険をストップしまして、それが怠け者に活

す。それから見ますと太陽の恵みが豊かで

をいれ、文句言わずに再就職するドイツ人

食料も観光資源もある。こういう南ヨーロッパ

が増えたのであります。この結果、失業率は

の人達とは生きる目的が元々違うわけです 10

ね。生きる歓びといいますか、いわゆる人生

ここで公的債務を増やさずに社会資本を

観が違う。

充実させる方法として、私が長年関わってき ておりました PFI 方式という “民間の資金とノ

例えばメルセデス・ベンツなどドイツの代表 的な産業はシュヴァ―ベンという貧しい地域

ーハウを活かして公共事業を行う方法“ が

から出ている。シュヴァーベンというのは自

あるのですが、これは一寸専門的になります

然環境に恵まれておりませんで、古い諺に

ので省略いたしますが、この PFI 方式の今ネ

「貯めて貯めて家造れ」(“Schaffe, schaffe.

ックとされているのが資金調達なのです。私

Hausele baeue!”)というのがあるのですが、

はもっと民間が貯めているお金を PFI に使っ

兎に角勤勉な倹約家が多い。そういうところ

たらどうか、眠っている純個人資産が 700 兆

の企業がベンツなどの大企業に育っていっ

円もあるわけですから、その1%7 兆円あれ

ている。

ば十分に日本の PFI は運用できるわけです。

ドイツが財政規律を守って、輸出に励んで、

目に見える市立病院とか公立図書館を裏

貯めに貯めたお金を今格付けがトリプルCと

付けにしたJリートと同じことなのです。これは

いう投資不適格な国の救済に使うというわけ

非常に安全な投資対象でもあるのです。市

ですから、ドイツ人としては身を切られる思い

庁舎とか市立病院とか道路、こういうものは

ではないかと思います。なかなかEUの盟主

赤字国債を出さなくても民間の資金で十分

になるというのも辛いことでございます。

に整備できるのです。何でもお上に頼る、補 助金をせびる、こういう体質は改めなければ

(5)財政再建が出来たドイツと出来ない日本

いけない。こういうことが結局は役所の許認

ドイツは2015年の会計年度で財政均衡を

可権を温存して公的債務を増やす最大の原

46年ぶりに実現致します。即ち無借金にな

因ではないかと私は常日頃申し上げており

るのです。今までに借りたものはありますけ

ます。

れども…。経済が好況で税収が増え赤字国 債を発行しなくても済む。そういうバランスが

(6) 地方分権で地方の自立を

とれてきたわけで、大変素晴らしいことだと

参議院の制度がドイツでは違っておりまし

思います。

て、地方の首長さん達が参議院に出てくる、

日 本 の 政 府 の 総 債 務 残 高 が GDP の 約

参議院議員になるのです。これは非常に大

250%、地方も入れた公的債務が大変な額

きな権限を持っているのです。日本の場合

に上るわけですが、ドイツがゼロにした赤字

ですと衆議院・参議院、同じような顔ぶれで

国債を、今年度の日本では36兆円も発行す

やっていますけれども、チェック機能という意

るのです。片方で日銀は2%のインフレ目標

味ではこのドイツの参議院制度というのは非

を掲げておりますが、23兆円の国債費、これ

常に優れていると私は思います。

はいずれ膨張して公的債務の利払に耐えら

詳しくは昨年 横浜日独協会会報「 Der

れなくなるということも考えられます。大きな

Hafen 」(港)に書きましたのでご興味のある

ジャパンリスクだと思います。

方はご参照頂きたいと思います。

11

(7) 教育制度の長所

グラムを大学に設けるべきだ」という議論が

次に教育制度の長所について一寸触れた

なされております。これはもう一橋大学では

いと思います。「大学で何を専攻すべきか」と

とっくにやっていることでございますが、実学

いうことについてドイツの若者は社会実習を

を重視した教育、これは不可欠でございま

経て大学の専攻科目を選ぶ若者がかなり多

す。

くなっています。一旦就職した人も社会に出

私の提案は、大学の在学期間を弾力化し

て学び直して、婦人も出産を終えてから大

て1学期とか1年間を学生が進みたい分野の

学に戻るということも容易にできるようになっ

企業と個々に契約を結ばせて現場で現役の

ております。

熟練者の指導を on the Job training で受

私のドイツ滞在中に大学を卒業していなく

けさせる、こういう方法がいいのではないかと

てドイツ最大のドイチェバンクの頭取になっ

思っております。何故かといいますと、大学

た方がいらっしゃいました。その人は社内の

の職員というのは必ずしも実務経験がありま

教育訓練を受けまして、そしてドイツの銀行

せんし、大学が会社に対して訓練員を派遣

の中で実績を積み上げて頭取になられたの

してくれといった時には必ずしも理想的なス

です。Abitur という大学入学資格を若い時

タッフが迎えられないということがありまして、

にとっておきますと、もうそれで一つの能力

やはり私はこういう on the Job training 、こ

の格付けがされてしまうのです。それを持っ

れが非常によろしいかと思います。企業の仕

ていれば理解力はあると見做されるのです。

組みや体質を垣間見ることができるだけでは なくて、大学に戻ってからの科目選択も非常

それから二元制の職業教育について一寸

に効率的になります。企業にとっても若い労

話したいと思います。先程の大学入学資格

働力を活用できると同時に、適正を見て正

Abitur、このAbiturを取らなくても、子供達は

規社員として採用する可能性も出てくるわけ

就職して十分にその職場で能力を発揮する

でございます。

ことが出来ます。これは理論と企業内の実務 と、両方で教育を行います。若年層の失業

3. 今後の日独協力はどうあるべきか?

者が増加するのはギリシャだけではなくて、 各国でも失業者は社会問題化しております が、この二元制職業教育というのは、これは

さて次に今後の日独協力はどうあるべきか

大いに学ぶべき制度だと思います。

という問題に入って行きたいと思います。

有名なマイスター制度も健在であります。 手先が器用で伝統技術を守る親方だけでは

(1)歴史が長い良好な日独関係が冷え込む?

なくて、理論も学び、工業エキスパートとして

日独関係はご承知の通り大変長い歴史が

のマイスターが随所に活躍しております。

ありますけれども、最近冷え込んでおります。

日本の大学での職業教育はどうかというこ

これは何故かと申しますと、端的に申し上げ

とで、最近教育再生実行会議で「職業に結

ると、EUの盟主であるドイツと比べると日本

びつく知識とか技能を高める実践的なプロ

は近隣諸国の支持を得られない、しかも軍 12

事的にも頼りにならない国だということだと思

終わってから「失礼しました。今フランス大使

います。メルケル首相は中国には7回行って

と話をしていました」という。何かEU加盟後の

いるのですが、日本にはただの2回でござい

独仏関係と現在のやせ細った日独関係を象

ます。定期協議も、ドイツと中国は持っており

徴するような出来事で、非常に私は寂しさを

ます。

感じたのであります。

日本経済が停滞していたこと、それから首

ドイツは今EUの中核であります。日本とし

相がくるくると替わる、信頼出来ない国という

ても長年の日独関係を大事にしながらドイツ

イメージがどうしてもあります。経済が弱い日

とより緊密なコミュニケーションを図っていき

本などは世界政治では全く魅力がないわけ

たいと思いますし、我々民間も草の根交流

です。いくら国民性が穏やかでも、富士山が

で日独会話を密にしていきたいと思っており

綺麗でも、お寿司が美味しくても、世界のパ

ます。

ワーゲームでは敗けるわけですね。日独関 係を再び活性化するには何よりも経済力、こ

(3) 日独科学技術協力

れを回復しなければいけませんし、財政規

日独科学技術協力の問題については時

律を守らなくてはいけない。「借金がいくらあ

間がありませんので割愛致しますが、2008

っても片方でバランスしているからいいじゃ

年にメルケル首相のシェルパとして洞爺湖

ないか」という議論はもはや通用しない。凛と

サミットに来たパッフェンバッハという経済技

した思いやりのある強い日本を築くことが大

術省次官を金沢にお迎えしました。彼は「両

事だと思います。

国の環境問題での協力が必要だ」という話 を熱っぽくしてくれました。

(2)EUのリーダーとしてのドイツとどう付き

大変大事な問題だと思います。ジュネー

合うか?

ブで調印されました長距離越境大気汚染条

ドイツは非常に頼もしい相手ではあります

約というのがありますが、これはドイツと近隣

けれども、端的にいいますと、ドイツはもう日

諸国との空気の汚染の問題などを扱ってお

本の面倒を見ているというよりも、むしろEUの

ります。これは日本と中国との間でも活用で

中のことで精一杯であります。

きるわけでして、日独科学者が共同で日本と

私は、金沢の星稜大学にいました時に、ド

近隣諸国との環境問題、汚染問題などを解

イツの当時のシュミ―ゲロー大使に「是非金

決することが大事ではないかと思います。

沢に来て講演して下さい」とお願いしまして、 我々のシンポジウムで挨拶して頂いたので

(4) 若者交流促進

すが、空港から大学に行く車の中で「日独間

それから若者の交流が大事でありまして、

の最大の問題は、大使、今何ですか」と伺い

フランスのマセ大使が仰っているような「若

ましたら「それは問題がないのが問題です」

者交流で“先天的な敵”をなくすことが大切」

〔笑〕と仰った。これは嬉しいようで嬉しくない

なのです。私共もフランス大使が仰ったよう

のですね。そうしましたらチリチリと電話がな

に、“先天的な敵”をなくすために、自発的な

りまして、フランス語で大使が話し始めました。

善意に頼っているだけではなくて将来に亘

13

って日独間の友好関係を発展させるために

司会(講師紹介):続きまして、第2部は朝海

政府にも本腰を入れて頂きたいと思います

和夫元大使に、体験論的EUのお話をお願

し、具体的には独仏間のように日独「青年の

いします。

ためのオフィス」というものを作って、これで

演題が「EUは今」となっておりますが、大

日独間の交流を図るということを提案したい

使として活躍されたのは10年前で、その後の

と思います。

ヨーロッパ情勢の変化はさておき、ヨーロッ パの政治経済の底流についての感想その 他も語って頂くことになりそうです。

最後にこの「資料」〔p.2、下方〕の中に偏見 調査がございます。これは「最も信頼できる

朝海先生の父上は駐米大使を6年も続け

国はどこですか」とか、「傲慢な国はどこです

られた朝海浩一郎大使ですが、母方の祖父

か」、「薄情だと思う国はどこですか」という調

も駐米大使や外務次官を勤められた方(註:

査です。

出渕勝次大使)で3代にわたる一橋出身の

ヨーロッパの中の話ですが、ギリシャが傑

大使となります。父上は一橋ボート部のOB

作です。あれだけ助けてくれているEUのリー

会である四神会の会長でした。昭和の初め、

ダーのドイツに対して「最も信頼出来ない国」

向島の艇庫の合宿では、仲間が眠っている

と言っております〔笑〕。借金だらけの自分の

早朝に布団の中で外交官試験の勉強をさ

国を顧みず、「もっとも謙虚で」「もっとも思い

れたという方ですが、戦後の外務省の重鎮と

やりのある国」は自分達の国と自画自賛して

して賠償問題、その他で活躍されました。先

います〔笑〕。きっとおおらかな人が多いのだ

生は商学部出身であり、外務省入省は珍し

と思います。

いのですが、中退となっているのは3年生時 に外交官試験に合格しているためで、昭和 41年卒業に相当です。

さてEUの将来はどういうふうになるのでしょ うか。朝海大使のお話を伺う前の導入部、前

私は30年位前、この如水会館で朝海浩一

座として私の話はここで終わらせて頂きたい

郎元大使のお話を聴きましたが本日で親子

と思います。

2代の外交講話を拝聴することになります。 〔拍手〕

それでは、朝海先生宜しくお願いします。 講師(朝海和夫 元EU特命全権大使):私は 2003年から約3年間ブラッセルのEU代表部 におりました。もう10年位前の話です。 代表部というのは大体大使館と同じで、よ

第Ⅱ部

く知られております国連代表部や、ユネスコ、 ジュネーブの国際機関の代表部とかありまし

そしてEUは今(体験的EU論)

て、全部で今8つ代表部と称する在外の機 関があります。

14

赴任する前に私の同級生(今日も何人か

ても少数派であれば決定に従わざるを得な

来て貰っていますが)とどこかで食事をして

い。その意味で主権を予め放棄し合ってい

いまして、その時私は「今度EUに行くことに

ます。

なったんだ」と話しました。そしたら一寸遠く

最近注目されているASEANの統合はおそ

に座っていた人だろうと思うのですが、「えっ、

らくとてもそこまで行かなくて、主権を維持し

どこの温泉に行くの」〔笑〕と聞かれて…少な

たままの、言ってみれば緩やかな統合だろう

くとも今から10数年前はEUというのはあまり知

と思いますから、主権を相互に委譲してしま

られていなかったということを物語るものでし

った形というのは、おそらくEUしか世界には

た。

存在しないだろうと思います。

私がブラッセルから帰りましてもう10年近く

ただしそれは通商などの部門に限られて

経っております。その後ユーロの危機もあり

おりまして、外交・安全保障というところでは

ますし、EU反対派というのもいくつかの国で

主権を放棄していないので、言ってみれば

勢力を増してきて、いろいろ状況は変わって

どの国にも1国1票の拒否権がある。

おります。中国がめざましく台頭してきたとか、

今のウクライナの制裁の問題はおそらくこ

最近ではイスラム国と称するグループが中

ちらの方に入るのではないかと思います。EU

東で活動しているとか、いろんなことが変わ

の法律というのは非常に複雑で、どれがEU

っております。私の知識はもう古いものです

共通権限で、どれが国別に残った権限なの

ので、そこはまずご容赦頂きたいと思いま

か、また中間的なものもあって、どれがどれ

す。

だかなかなか私のような人間には分かり難い 2つ目にご容赦頂きたいことがあります。

のですが、おそらくウクライナに関連してのロ

私なりに現在の問題も勉強したつもりなので

シア制裁というのは国別に権限が残ってい

すが、何せ最近いくら勉強してもすぐ忘れて

る分野ではないかと思います。ということは

しまいます。この点もお許し願います。そこで

EU28カ国のうち、どこか1つが「NO」といえば、

今日は、現在の問題のヒントになるようなこ

理論的には拒否できる。政治的にそれが出

と、手掛かりになるようなことを見繕って体験

来るかどうかは別の問題ですけれども、そう

談をお話したいと思います。

いう分野でしょう。

1. EUとは

(2)機構 ①欧州委員会

(1)加盟28カ国の「国家連合」

欧州委員会という巨大な官僚機構がありま

EUは国家連合です。主として経済・社会面

して、委員長が前ルクセンブルグ首相、ユン

で共通政策を創っています。共通政策は、

ケルという人です。責任の重い仕事を夜遅く

加盟国が最終的には投票で決める。どの国

までしている。そんな時疲れてしまったらどう

が何票かということは条約で決まっています。

いうドリンクを飲むのかな〔笑〕、という名前の

各国1票ではなく、国の大きさによって傾斜

人です。

配分されています。仮にそれに反対であっ 15

②加盟国の合議体である「理事会」

かつては貿易摩擦が激しく、「日本人という

委員会と並んで、欧州理事会というのがあ

のは兎小屋に住む働き中毒」云々と言う文

ります。両者の権限関係がこれはまた複雑

書を、確か79年に欧州委員会が書きました。

なのですけれども、一般に、決めるのは国の

それを加盟国に図ったということです。当時

集まりである理事会、実施するのは委員会

大々的に報道されて有名になったので私が

です。理事会の議長はPresidentという呼称

ブラッセルに着任しましたら「これがその時

ですので、大統領と訳されることがあります

のペーパーだよ」といって記念に兎小屋ペ

が議長と言った方が正確かと思います。いま

ーパーをくれた人がいた程です。70年代は、

はトウスクというポーランドの前首相です。

ビデオレコーダーを当時はまだヨーロッパに

EUの「外務大臣」とも称されているのが理

沢山輸出していたので、フランスがそれを問

事会の外交担当者で、モゲリーニというイタ

題にして、普通は港で通関するのですが「内

リア人の女性です。ちなみに昨日〔4月15日〕

陸のポワチエでなければ通関しません」とい

までやっていたG7外相会議には、いわゆる

う、非関税障壁というか、貿易制限的措置を

G7の国に加えてこのモゲリーニが出ておりま

とったりして大分揉めました。70年代の日欧

す。つまりEUはG7のメンバーなのです。

関係は、貿易摩擦でした。 最近はそういう問題がなくて先程のお話に

③欧州議会、欧州裁判所等

もありました通り、問題がないのが問題かな

欧州理事会、委員会の他に、欧州議会と

あという面もあります。ただ貿易摩擦があれ

か欧州裁判所とかあって、場所はヨーロッパ

ばいいというわけでもなく、だんだん幅広い

中あちこちありますが、中心はブラッセルで

関係になってきております。日欧関係は確か

す。ブラッセルに28カ国が夫々巨大な代表

に一寸熱気不足ではありますけれども、日

部を持っておりまして、国によっては世界で

本の政治が安定したとか、日本経済も少し

一番大きな代表部は国連でもなくてワシント

上向いているではないかということで、一時

ンでもなくてブラッセルだという国がいくつか

期よりは日本との欧州との間の要人の往来も

あるようです。

活発になってきており、段々活力が出てきて いるかと思います。

(3) 規模

ヨーロッパとの関係は今一つエネルギーが

EUの規模は、人口5億人、GDPも17.5兆ド

ないとレジュメに書きましたが、ヨーロッパか

ルと大きく、主要貿易相手国は、輸出は主と

ら見て日本は3%位の貿易相手でありますし、

してアメリカ、輸入は主として中国。日本はど

日本から見てもEUというのは巨大市場である

うかというと、輸出も輸入も3%程度です。

にも拘らず、輸出で見ればアメリカ向けの半 分程度で、輸入もそれほど大きくありませ ん。

2.

日本との関係

世論調査をしてみると、日本の人は「一番 親しみを感じるのはアメリカです」が83.1%。 これは一寸高過ぎるような気がしますが、い 16

ずれにせよアメリカ83%に対して「ヨーロッパ

ーロッパ人というのは日頃からお互いいろん

が好きです」という人が66.5%。2番目ではあ

な外交交渉、折衝をしているので自然とそう

るのものの、殆ど東南アジア並みです。他の

いう術を身に付けているのかと思ったのがEC

国ではヨーロッパへの関心がもっと高いのに、

についての、言ってみれば、私の原体験で

何故なのだろうと思う程です。

す。 それと比較してみて、尖閣…、俄然現在に タイムスリップしますけれども、尖閣について

3. EU/ECとの出会い

日本で評論家の方は「日本と中国と意見が 違うからこそ話し合うべきだ」とか、ある人は、

「ヨーロッパとは何か」という有名な本で増

日中首脳会談にも関係しているのかと思い

田四郎先生は「日本でヨーロッパのことを研

ますが「ボールは日本側にある」と言ったりし

究するというのは、実はそのまま日本の現代

ます。オルトリさんのような発想と非常に違う

を理解することと不可分に結びついている」

のです。

と述べておられます。私なりに言い換えれば

もう一つ私が思い出すのは、7~8年前の

「ヨーロッパを勉強するということは国際情勢

Economist誌の記事です。上海でイギリス人

を理解することにも結びついている」と思い

が中国人の自転車と事故を起こしそうになり、

ます。

中国の人に「一方通行を逆走しちゃ駄目じ

何故そう思うのか。思い出のその1は、石油

ゃはないか」と言ったら「そんなこと言ったっ

ショック直後の産油国との対話会議です。そ

て、ここは大勢信号を無視している人がいる

の時私がまだ30歳一寸の紅顔の美青年でし

のに、そんなことを知らないお前は何だ」と

た〔笑〕。詳しくは覚えていませんが、確かサ

言ったということです。日本人の感覚からす

ウジアラビアが何か提案をし、それに対して

ればそれほど驚かない話ですが、イギリス人

どうしようかということを先進国の中で相談す

の目から見ても中国人はそういうふうに見え

る場がありました。その時誰か「この提案はよ

るのか、と興味を惹かれました。世の中には

く分からないから補足説明を求めようじゃな

色んな発想の人がおり、日本のロジックが通

いか」という人がいたのですが、ECのオルトリ

じないこともある、ということをオルトリの発言

という人(仏人)は「いや、それは止めよう。向

や、あるいはこのEconomistの記事を通じて

こうが提案しているからにはそれに応じて貰

感じたわけでして、これが国際関係というも

いたいことなのだろうから、それならまずNoと

のか、と思う次第です。

言おう」と主張しました。随分ネジれたことを いう人だなと思ったのですが、よく考えてみ

4. ウルグァイラウンド貿易交渉(1986年 から94年)

ると、うっかり補足説明を求めると段々向こう の土俵に乗ってしまうという考慮とか、「本当 に向こうがそれに興味があるのであれば一 旦拒否してもまた言ってくる筈だ」というよう

2番目の経験は産油国との対話会議から10

な作戦的考慮があったのか、と思います。ヨ

年位あと、80年代後半からのウルグァイラウ 17

ンド貿易交渉です。この交渉は農業問題で

3番目の経験は更に10年後、90年代の温

大変難航しました。日本と当時のECとは利

暖化交渉です。ここでメルケルさんが登場し

害がある程度は似ていたので共闘していま

ます。メルケルは当時環境大臣で、あの時

した。

のドイツは随分要領よく立ち回ったと思いま

ところがある時、1992年でしたか、気が付い

すが、それは一寸横に置きまして、EUは交

たらECはアメリカと手を握っていた。日本は

渉を常にリードしておりました。途上国とも手

農業で孤立してしまったということがありまし

を握って、結果としてアメリカ、日本、カナダ、

た。

オーストラリア、ニュージランドなど5~6カ国

そこで何を教訓としたかというと、その頃の

の先進国が、EUと100カ国近い途上国に囲

欧州は補助金漬けで「ミルク(牛乳)の池が

まれてしまったという図式がありました。ここ

できて小麦粉の山ができて」とか言われてお

で注目されるのは、アメリカとEUの関係です。

り、いろいろ問題があったのですが、何だか

環境問題、温暖化交渉では、もともと随分意

んだ言いながら課題を解決できた。その頃

見が違ったのですが、2001年にブッシュ政

のECは10数カ国で、内部の議論はきっと血

権になり米国が京都議定書から離脱を表明

で血を洗うようなものであっただろうと言われ

したとき、EUは早々とブッシュ政権を見限り

ますが、案外柔軟に、政策を転換できたとい

米国抜きの批准、議定書発効に進みました。

うことで、これは先程の早瀬さんのお話にも

米国との橋渡しを試みた日本とは違ったの

通じるところがあると思います。ヨーロッパは

です。イラク戦争を含めブッシュの米国とは

それができたけれども日本はそれが出来る

距離を置き、日本の方が米国に近かったの

のかなあと、一寸寂しい気持ちがしないでも

です。

ありません。

それが現在の問題と、どういう関係がある

日本もかなり農業改革をやっているような

のか。今年の12月にパリで気候変動の大き

ので、今のTPP交渉は20年前のウルグァイラ

な交渉があります。それに備えて去年の11月

ウンド交渉とはだいぶ違っていることを期待

にアメリカと中国が「米中合意」と称して、こ

します。専守防衛で守っているだけでは交

のレジュメに書いてあるような温室効果ガス

渉にもならないわけで、交渉というのはギブ・

の規制を発表しました。その数日後、欧州委

アンド・テイク(give & take) です。なにも ギ

員会は「欧州ではこうやります」という別の案

ブしないでテイクばっかりというのはなかなか

を出しました。アメリカ、EU、中国がそうやっ

難しい。その柔軟性を案外持っていた、とい

て案を出してきているのに日本はいまだに

うのがウルグァイラウンド交渉の時のEC、ヨー

案を出せないでいます。90年代の交渉でも

ロッパの印象でした。

日本は中々案を出すことが出来ず交渉上不 利になった歴史があるだけに、大丈夫かなと 心配です。

5. 気候温暖化交渉

もう一つの心配は京都議定書の際は、一 旦合意してからアメリカでは政権の交代があ り、手のひらを返すように京都議定書から離 18

脱したのですが、今度もパリでの交渉の1年

トム・リードの言っていることの1つの大きな

後に大統領選挙があります。この前の教訓も

ポイントは、「惰性でパリとかローマと付き合

頭の片隅に置きながら米、EU、中国の狭間

っていた方が気楽で、ブラッセルEUというの

で要領良くやらなければならないのですが、

をそれ程重視していなかったのではないか」

どうすれば良いのか剣呑です。

ということです。今の日本政府はそうじゃない と思いますが国民一般のEUへの理解は余り すすんでいないようです。

6. ブラッセル勤務で見たEU

あとで触れますが、3月7日付けの東洋経 済誌は「ヨーロッパが直面する分裂の危機」

ブラッセルには2003年に着任したのです

という特集号です。フランスはこうです、ドイ

が、着任してみるとECではなくてEUで、今ま

ツはこうです、ポーランドはこうですとかいう

では主として貿易経済問題などがEU権限だ

国別の事情の紹介が50頁ほどあり、EUの紹

ったのですが、共通外交・安保政策とかも始

介は北海道大学の先生が2頁程書いている

めてますし、司法内務協力というのも進んで

だけです。この記事に関する限りは、まさにト

いる。ユーロが流通しているし、国境はます

ム・リードが指摘している古い視点にいまだ

ます低くなっていました。

に留まっているようです。

当時ブラッセルには日本の他に、アメリカ、

いずれにせよブラッセルに着いた時、EUは

カナダ、豪州、ロシアなどが専任の代表部を

大変な勢いだったことが印象的ですが、もう

置いていました。他の国は在ベルギー大使

ひとつの発見は、一寸意外でしたがイギリス

が兼任しておりました。

の評判が良くないことです。欧州委員会のあ

中国もそうでしたが中国は2006年だったと

る人とゴルフをしていたのですが、急に雨が

思いますが、専任のEU代表部を作りました。

降ってきた。「この雨はきっとドーバー海峡か

ちなみに日本は一時期までベルギー大使が

ら、イギリスの方から来たのだろう」と言うので

ECへの代表を兼ねていたのですが、1975年

「まあ、そうだろうな」と相槌を打ったのです

だったと思いますが、専任のEC大使を置くよ

が、話しの途中から急に真顔になって「イギ

うにしました。それから丁度30年位経って中

リスの方からは大体いつも変なのが来るんだ。

国も同じような立場になったということが言え

問題なんだ。」と言って怒り出しちゃったこと

るかと思います。

があります。1957年に英仏海峡に濃霧が発

いずれにせよ、その頃の雰囲気をよく書き

生してフェリーが欠航したとき、英国の新聞

表していたのがトム・リードというワシントン・

が「大陸が孤立」と報道したことが語りぐさに

ポストの新聞記者が書いた「『ヨーロッパ合衆

なっており、「孤立したのは英国の方なのに

国』の正体」という本だったと思います。「EU

自己中心的発想は困ったものだ」と言われ

は日の出の勢いだ。アメリカを圧倒しつつあ

ていました。英国では、5月の総選挙の結果

る。大西洋を挟む亀裂も広がっており気を付

によってはEU残留について国民投票になる

けなければいけない。」というようなことです。

ようですが、どうなるのか注目を要します。

19

レジュメに世論調査の結果を付けておきま

7. 対中武器輸出問題

したが、欧州での世論調査では「EUにとって の最も重要なパートナー」は、アメリカが1番

2000年代はじめの大きな問題は、89年の

(58%)なのですが、2番目は中国(21%)で

天安門事件を契機に始められた対中武器

す。2007年の段階で、すでにそうなのです。

輸出の禁輸を解除するかどうか、の問題でし

3番目が日本(6%)ですが、この6%というの

た。とくにフランス、ドイツが解禁に熱心でし

は、インド、ロシア並みで、そう高くない。意

た。経済的利害もあったでしょうし、フランス

外に重要視されていないのです。

辺りは米国による一極支配を多極化したい

もっとも「世界にポジティブインフルエンス

狙いもあると言われました。解禁には米国や

を与えている国はどこか」という2014年の

日本も意見を述べ、問題は結局棚上げされ

BBCの調査では日本は49%で米国の41%、

ました。しかし、今にして思えば昨今のAIIBを

中国の27%を上回っています。「ポジティブ

めぐるヨーロッパの動きと良く似ていると思い

な良い国ではある」けど「重要な存在ではな

ます。

い」というのはどういうことだかよく分かりませ んが〔笑〕、ヨーロッパではそう見られている

因に、1997年のアジア通貨危機の時に日 本は「アジア通貨基金」を作ろうと言って回っ

ようです。

たのですが、その時反対したのがアメリカで

昨日までやっていたG7外務大臣会合で発

あり、中国です。アジア通貨基金とAIIBとは

表されたところでは、「東アジアの海上交通

違うのですが、アメリカは両方とも反対してお

路の自由な航行」について話し合われたよう

り一貫している。そう言われてみればかつて

ですが、日本の方からいろいろとヨーロッパ

マハティールが「EAEC」というのを提唱した

に働きかけないと、やはりどうしても向こうの

のですが、それにアメリカは猛反対をした。

人はEU内部のこと、あるいは中東のこと、ア

アメリカは一貫してますが、それがいいか悪

メリカとの関係、ロシアや中国との関係の方

いのか、日本の利益になるのかならないの

に目を向けがちなので、そこは日本の方も

か吟味してみる価値はあります。

大いに努力しなければいけないのだろうと思

それは兎も角として、この中国への武器禁

います。

輸の時にいろんな議論をして結局は棚上げ になったのですが、EUというか、ヨーロッパと

8. 最近のEU-試練の年

いうか、中国を重視していて日本はそうでも ないのか、東アジアの安全保障はそれ程高 い優先度を持っていないのか、と思いました。

試練の年だと思います。先程の東洋経済

最近の尖閣問題についても欧州の論調に

誌のような特集記事も最近出ましたし、

は中国寄りだったり中立的なものがあるよう

News Week の「EUの挫折」という特集、(3

ですが、対中武器禁輸解除問題の頃の状

月10日付け)もあります。ちなみこの News

況と符合するところがあり、注意を要します。

Week の方は、東洋経済よりはEUのことが多 く書いてあります。ただし英語で見ると、「ヨ 20

ーロッパのwavering Values(価値観が揺れて

とか。ドイツに日本は言われている。」とかな

いる)」というタイトルなのですが、それを日本

り大きく報道したようですが、メルケルさんの

語では「沈みゆくEU統合の理念」と訳してい

記者会見の記録を見ると「日本にアドバイス

て、訳が大袈裟です。イギリスの問題は前々

を言うために来たのではありません」と言って

からの問題でもあるので心配ですし、ギリシ

いる。2点目「ナチスとユデア人ホロコースト

ャも時間との競争の面もあってどうなるのか

は重い罪でドイツはいろいろやりました」。3

分かりません。問題は多々あり、更なる「統

点目「フランスがドイツに歩み寄りました」と

合」も「拡大」も小休止でしょう。しかし、この

言っています。

雑誌が言うように「沈み行く」ということではな

これが実はドイツ外務省の3点セットだそう

いと思います。

で、よく練った上でこういうふうに言うことにな

ギリシャの関係で一言だけ申しますと、ギリ

っているのだそうです。ホロコーストとナチの

シャ政府がドイツに対する戦後賠償問題を

話を出しているけど他のことには触れていな

提起しているとかいう報道がありました。調べ

い。日本の抱える問題はナチでもホロコース

てみたら、これは1944年にナチの親衛隊が

トでもないことで、従ってメルケルさんは賢明

デイストモ村の住人を虐殺した。その賠償の

にも日本と中国、韓国等との問題には敢え

問題でギリシャの最高裁が「28百万ユーロの

て踏み込まなかったというのが、少なくとも私

支払いをするか、支払いがなければドイツの

の解釈です。

資産を差し押さえる」という判決を2000年に

ところで何故踏み込まなかったかというと、

出したのだそうです。その判決が執行される

他国の問題に不用意に首を突っ込みたくな

ためには法務大臣の署名が必要なのだそう

いと言う考慮もあったでしょうが、このデイスト

ですが、今まではその署名をしていなかった。

モ村のような事件があるわけですから、「ドイ

それを署名するという話のようです。これに

ツは全部清算した」とは言いきれない事情が

対するドイツの立場は「法的問題は全て解

あって、そこで苦心の作としてこの3点セット

決済み。そうは言っても人道問題があるので

が出来たのかな、と想像しております。

『ドイツ・ギリシャ未来基金』を設立した」という

ただドイツの偉いところは、デイストモ村の

こと…。どこかで聞いたような話なのです〔注、

ようなこともあるのでしょうが、一番の問題で

従軍慰安婦問題〕。

あったホロコースト、イスラエルとの関係では

ドイツは確かにナチの関係で、あるいはユ

見事に清算しています。これも最近の

ダヤ人の関係で大変な努力をしております

Economist誌に出ていたのですが、イスラエ

けれども、こういう問題もある。どうするのか非

ルで世論調査をやって「あなたが一番評価

常に興味を持って注目しております。

する国はどこですか」と聞くと70%が「ドイツ

その関係で申し上げておきますと、メルケ

だ」というのだそうです。そこまで徹底的な和

ルさんがこの前来日して「ドイツの戦後和解

解ができたというのは大変見事なもので、日

を日本も見習え」と言ったとか言わなかった

本の抱える問題とは一寸違うとはいえ、ドイ

とかいう報道がありました。新聞によって報道

ツは問題に正面から向き合った、と思います。

の仕方が違うのです。韓国では「ほらみたこ 21

日本もその気持を汲んで日本の問題に対応

ああいう結果になったので、それが一つの楽

するのがいいと思いました。

観的な材料です。「EUから脱退しろ」というの は随分極端な議論だと思います。今のところ

雑駁ですが以上で終わります。

世論調査で「EUに残るべきだ」と「脱退すべ 〔拍手〕

きだ」というのがかなり競っているようですの で、今年総選挙の結果2017年までに国民投



票が行われることになり、今の経済状況など がそれまで続いていればとか、いろんな仮 定の上の仮定を重ねれば国民投票でEUか ら離脱しようという意見が、五分五分に近い 位の可能性はあるのかなという気がします。 ただ、本当にそういう見通しとなれば、や

〔質疑応答〕

はりイギリスの良識というか、イギリス経済はヨ ーロッパ大陸から離れて続く筈がないという

Q1: イギリスの問題も含めてEUはいつまでも

実利から、結局はやはり常識が勝つのでは

つか、率直なご感触を教えて頂ければと思

なかろうかと、少なくとも期待をしております。

います。また尊厳死の問題についてドイツで は定年延長で取り敢えず凌いできたと聞き

A(早瀬): ご質問は高齢化社会の中での尊

ますが、もう凌ぎきれなくなっているのか、本

厳死の問題だと思います。ドイツの憲法、基

来の意味の尊厳死の問題の現状はとうなっ

本法と言っておりますが、この第1条は人間

ているのでしょうか。

の尊厳は保たれなければいけないということ なのです。これは生まれてから死ぬまで尊厳

EUはいつまでもつかと、それを

は保たれなければいけないということなので

先ほどの特集記事が言っているのですが、

すが、今ドイツではなかなか病院にいつまで

私の推察では、もうこれだけ何10年も積み重

もいるわけにはいかない。できるだけ病院に

ねがあって、いろんな法律関係が出来上が

入っている時間を短くして自宅で介護すると

ってしまっていて、一部の国とはいえ共通通

いうのがドイツの基本的な姿勢です。自宅で

貨もできていて、それを今更時計の針を戻

誰が介護するかというと、これは全国からボ

すのは逆に物凄いエネルギーも要るし、ま

ランティアを募集しまして、もう今は10万人位

ずないのではないかと思います。

になっていると思いますが、家庭に行って面

A(朝海):

ただギリシャの場合は、今まだ交渉中です

倒を見る。そして死を迎えさせるのです。

が、ひょっとしてユーロからは脱落していくと

でも栄養を十分補給していきますと苦しい

いう可能性が全くないかと言えば、全くない

ままで生き延びてしまうのです。この問題は

とも言えないかと思います。

倫理的にいいか悪いか非常に議論のあると

私が心配しているのはイギリスです。スコッ

ころですが、ドイツでは本人の意志に反して

トランドの国民投票が結局常識的というか、

医師が息を止めることはできないのです。し 22

かし本人が生前から尊厳死を希望している

によろしくお願いしたい」と、こういうことを言

ということが分かって、家族がそれを証明す

っております〔笑〕。

る場合には、割に楽な方法で栄養の補給な どを細めていって死に至らしめるということは

Q2: AIIBについては、統一基準をG7で作っ

可能なようです。

てそれを中国にそれを反映させていくという

もっと早く命を絶ちたいと、もう自分は生き

方向で昨年春からやって来ていて、それが

ていきたくないという、こういう方については、

今年の2月位から急激な変化があったのだ

これは実は隣国のオランダとスイスに死を請

けれども、そういう中で日本のスタンスもこの

け負う病院や会社がございまして、スイスな

急変に追いついていけない状況であったと

んかはドイツからのお客さんが沢山来るので

いう報道(読売新聞)がありました。

す〔笑〕。本人の意志を確認して、これは息

ところが今朝の日経には3月12日にイギリ

の根を本当に薬で止める方法です。結構流

スの財務大臣がHPで「イギリスが西欧諸国

行っているようでございます。

の先頭を切ってこの中国の銀行に参加する

オランダも割り切った考えを持っていまして、

ことになって大変喜んでいる」というのを出し

ドイツから結構老人が運ばれて行って、そこ

たとありました。それから驚くことに3月17日、

でいわゆる尊厳死の意思を確認した上で、

5日間をおいて今度はドイツの財務大臣が

薬でもって生命を終わらせるということが可

北京を訪問して、参加した場合の21項目に

能でございます。オランダの場合などではち

上る重要事項についてその要項に署名をし

ゃんとそういうチームが出来ていまして、お

て帰ってきたという報道です(日経報)。

医者さん2人と看護師さん1人で車に乗って

メルケル首相が4月初旬に訪日された時

「出前」をするわけです〔笑〕。ご希望に応じ

はこのAIIBの話は出なかったとずうっと報道

て薬を投与してやる。こういうことがオランダ

されてきたのですが、今朝の朝日新聞では、

では行われております。

実はメルケル首相が安倍総理に対して「日

尊厳死というのは本当に尊厳を保ちながら

本も加わる方向でやったらどうか」ということ

死ぬことが出来る。無闇矢鱈に年数を長く生

を言われたと報道しています。

きるだけが人間の幸せではありませんから、

ドイツはこれまでのところのウクライナ問題

そういう尊厳を保った上で人生を終わるとい

に対するロシアへの対応ということではアメリ

うのは、これは、私は日本も、事情によりけり

カの対応とは距離感を持ってやって来てい

ですけれども、考えてしかるべきだと思いま

ます。こういうドイツのスタンスが、経済問題

す。

では、米国議会の消極的スタンスを十分承

私は実は尊厳死協会の会員になっており

知の上で、距離感を持ってやるというように

まして、いつもカードを持っております。です

急速に変わってきているのかどうか、如何で

から子供達にも言っておりますけれども、「そ

しょうか。

んなにいつまでも植物人間で生かさないでく

また日本の外交のスタンスについて、いま

れ。私は、その時は、自分で楽に死ねるよう

までの米国追随一辺倒と日本の国内政治 最優先という姿勢から、今何か大きな変化が 23

起ころうとしているのか、起こす必要はない

に接近しているのではなかろうか。そっちの

かその辺の感触をお聞かせ下さい。

方がむしろ心配であって、少なくとも今まで はその時々によって、あるいは問題によって

A(朝海): AIIBについての交渉については新

違うのですが、それ程アメリカべったりではな

聞で知るだけです。ただ私個人がよく分から

かったと思います。

ないと思うのは、ガバナンスの問題があると

国内優先は、それはまあ、いつもそうです

か何とか問題があると報道されていますが、

ね〔笑〕。

具体的に何が問題なのかについての報道 が全くないのです。いろんな国がお金を持

A(早瀬): ドイツは元々物事をプラクティカ

ち寄るわけですから、なんかの仕組みがある

ルに考えて実行する国でありまして、余り人

に違いなくて、中国の意志だけで、例えばヨ

に対して気兼ねする、即ち空気を読むという

ーロッパのお金がヨーロッパが知らない間に

ことは余り得意ではない。ご承知の通り、もう

何処かで運用されているということはあまり考

ドイツの中国に対する考え方は、「体制が変

え難い。運営に問題があると言われているけ

わった時は変わった時で逃げればいいじゃ

れども、一体それが何なのか一向にはっきり

ないか」ということなのですね。

しないので、それなら私自身はAIIBにそんな

実は自動車工業につきましてはフォルクス

に反対しなくてもいいんじゃないかなという

ワーゲンがずっと前からあそこで根を張って

感じを持っています。

いまして、中国の気の利いた車は殆どフォル

ヨーロッパが急に態度を変えたかも知れま

クスワーゲンと言っていい位ドイツの車にとり

せん。先程対中国武器輸出の関連で申しあ

ましては一大マーケットであるわけです。

げた通り、ヨーロッパには中国寄りの下地が

これはもう私から見ればかなり収穫期を終

あるので、私自身はイギリスとかが、報道によ

えてこれからは丸々純利益になるという工業

れば雪崩を打って中国に向かっていったの

進出だったわけであります。

は別に驚かない。メルケルは現に8回も中国

ドイツにとってこの中国主導の開発銀行に

に行っているわけですから…。それがけしか

参加するということは、これは別に中国だけ

るか、けしからないかは兎も角として、それが

に対して感じていることだけではなくて、ドイ

ドイツなものですから、ドイツがAIIBについて

ツの世界マーケットを見渡した上での当然の

そういう方針をとったということはそれほど不

判断だったと思います。ただタイミングはか

思議には思いません。

なりずらしてアメリカに対する配慮というもの

2番目の日本はアメリカ追随べったりだった

があったかと思いますが、ドイツが参加する

ではないかということについて、戦後の一時

ということについては、私は何ら不思議に思

期はそうだったかも知れませんが、その後は

っておりません。

そうではないと思います。私の意見は違いま

日本がアメリカに対してどういう態度をとっ

す。私がむしろ心配するのは、最近中国の

ていようとも、ドイツはそれによって影響され

脅威とか、北朝鮮の核とか、それを非常に心

ることはもともとないと私は見ておりました。そ

配する余り、私に言わせれば過度にアメリカ

の通りであったと思います。 24

ご承知の通りメルケル首相は中国に7回訪

ていける立場にあるわけですから、これは戦

問していますけど、何のために訪問するかと

後マーシャル・プランでいろいろお世話にな

いうと、別に政権に対してご機嫌を伺うとか

ったり、ライン駐留軍などで防衛に対してい

顔つなぎをしているわけではなくて、専らドイ

ろいろお世話になったりした過去はあります

ツの産業を売り込み、ドイツの企業が活動し

が、今そういうことのために米国に忠誠を尽

易いようにドイツの企業とのコミュニケーショ

くして中国主導の銀行に参加しないというこ

ンを図り、中国当局に対しても配慮を促す。

とはあり得ないと思います。

そういう中国訪問であるわけです。フォルク

日本の外交のスタンスについては、これは

スワーゲンはもう20数年前から中国に確固

朝海大使から明快なお話がございましたの

たるベースを作り、今やいろんな機械産業が

で、私から申し上げることはございませんけ

中国に根を張っております。しかし体制がガ

れども、戦後70年経ちまして、民間でもやは

ラリと変わればそこにはドイツらしい割り切り

り自己責任原則を貫いてやっていくべきであ

があると思いますが、今のところそういう経済

りまして、これは日本も何でもかんでもお上

的な恩恵を与えて中国の産業を支えている

を頼りにして補助金をせびっているという状

インダストリーを中国の政権が変わったから

態ではあまり日本の経済外交においても発

といって安々とそれを国有化するということ

言することができなくなるわけです。日本は

は今の時代では考えられないこともドイツは

やはり独自の路線で、あまりに国際的に偏っ

割り切っていると思います。

たスタンスを取らない方が得策であろうと思

日本に対しても参加を促したという情報が

います。

ございます。メルケルさんが来た時に安倍さ んに「あれに入っておいた方がいいよ」と囁

Q3: 謝罪と賠償については、日本は歴史に

いたという情報も聞いております。しかしこれ

しっかり学んでいると思います。しかしドイツ

は、日本は独自に考えればいいことでありま

は歴史を無視して考えていないということだ

すが、私の意見としましては、余り長い間日

と思います〔笑〕。ドイツはゲルマンとして「ス

本がアメリカに対して忠誠を尽くしてこれに

ラブ何するものぞ、アングロサクソン何するも

加わらないでいるということが果たして得策

のぞ」と、素晴らしい高邁な思想を持ってい

であるかどうか、非常に疑問に思っておりま

ると思いますが、如何でしょうか〔爆笑〕。

す。もう少しいろんなタイプ、いろんな機会を 利用して日本の経済にも役立つような、どう

A(早瀬): 何か軍艦マーチを聞いているよう

いうふうに新しい銀行を運用するかによりま

な〔笑〕、非常に元気の出るご質問でござい

すが、今こういう時代に中国が不透明な運用

ました。なかなかドイツが昔のように振る舞う

を独自に貫くということは国際社会がまず認

ことができない環境が今でできているというこ

めないところだと思います。

とは、これはお認め頂けると思います。結局

対中、対ロシアでのドイツのアメリカに対す

ドイツはいわゆるゲルマンの血で持って自分

る距離ですが、これは、ドイツはアメリカに依

の世界を拡大していくんだというようなことは、

存しなくても十分世界の中で活路を見出し

もう政治哲学の上で放棄しているのです。決 25

して日本と昔のような同盟を結んでどこかに

や生産に関するいろんなシステム作りには、

対抗しようなどということは、軍事の上でも、

非常に適している国民だと思います。

外交の上でも難しくなっていると思います。

もともとインダストリー4.0というのは、これは

ただ科学技術の面、それから知的な面で

2006年から強力に進めている高度技術戦略

の日本とドイツの協力というのは、これは非

の中で生まれてきたものです。ドイツのハノ

常に世界にとっても大きな力になると思いま

ーバーで機械メッセがあります。ハノーバ

す。今ドイツで一番期待されているのは、第

ー・メッセというのは大昔から有名ですけれ

4次産業革命と言われる政策ですが、これは

ども、そこで2011年にそういうコンセプトが発

大変期待しています。産官学でものづくりの

表されまして、2013年から産官学の有識者

高度化を戦略的にやろうということです。こ

が集まるワーキンググループができました。メ

れは勿論コンピュータを駆使してやるのです

ルケル首相も2011年から自らこの活動に首を

が、俗に「繋がる工場」とも言われておりまし

突っ込みまして思い切った予算を貼り付け

て、情報をコンピュータで共有することによっ

ております。この Industrie 4.0 には大学も

て生産の合理化を図ったり、地域的な技術

参加していますが、ドイツを代表する企業の

の偏りを補ったりすることが出来るのです。

ABBとかBASFとか、BMWとか、Bosch とか、

第4次産業革命というのはどういうことかと

ダイムラー・ベンツ、ジーメンス、ティッセン・

申しますと、ご承知の通り第1次産業革命は

クルップ、それから今日本にも出てきていま

18世紀後半に始まった蒸気機関などによる

すトゥルンプという会社、こういうところがメン

機械化です。端的にはイギリスが綿工業で、

バーになって如何にしてコンピュータ、サイ

蒸気機関で能率よく綿糸綿布を作るようにな

バーシステムとドイツの産業を結びつけて第

った。第2次産業革命は19世紀後半から始ま

4の産業革命をドイツ主導で起こして、そして

った電力の活用による大量生産です。第3次

世界の経済に貢献していこうという、こういう

革命は20世紀後半に始まったいわゆるITを

システムなのです。時代はそういうふうになっ

組み合わせたオートメーション化でした。そ

ておりますので、日本とドイツは昔のような日

れに今度は第4次産業革命、これはサイバ

独伊3国同盟という名残で考えるよりも、こう

ー・フィジカル・システムと言いまして、新た

いうソフトパワーでドイツと日本が手を繋いで

なものづくりをする場合にセンサーネットワー

行くというのがこれからの生き方ではないか

クによって、いわゆるフィジカルなシステム、

と思います。

現実世界とサイバー空間の高いコンピュー ティング能力によるサイバーシステムを密接

A(朝海): 一言補足します。ブラッセルにい

に連結させるというコンピューティング・パワ

た者としてすぐ思いつくのは、「ドイツは、一

ーで現実の社会をよりよく運用しようというシ

人歩きはしません」というのが第2次大戦の

ステムであります。

後の標語みたいになっていたことです。EU

ご承知のように日本とドイツは非常に科学

はまさにドイツを一人歩きさせない仕組みで

技術での思考が高度でありますから、そうい

あるし、NATOもそうです。現にEUの投票権

ういわゆる第4次産業革命での設計や開発

の配分を見ると、ドイツの持ち数とフランスの 26

持ち数とほぼ同じで、いずれにせよ多数決

A(朝海): テレビの石原節は私も見ました。

になれば、ドイツの一人勝ちとか何とか言わ

ご健在であられますが、私の意見は全然違

れるものの、法律的にはとても一人勝ちには

います。ご本人がいらっしゃらないのですが、

ならないような仕組みになっております。

尖閣の問題を含めて困った先輩がいるもの

実際はどうかというと、最近のウクライナのミ

だと思います〔笑〕。

ンスク合意を見てもドイツはフランスと一緒に

かつて『NOと言える日本』というのを盛田

ま え

なってやっていますし、この前ギリシャのツィ プラス新首相がボンに行った時も、報道によ

さんと一緒に書かれました。しかし「奴隷のよ

れば「ドイツとだけでなく他の人とも話して下

時にあったかも知れませんが、そういう関係

さい」とドイツは言っていたとのことです。そ

ではなかったと思います。恫喝されることは

れは逃げ口上かもしれませんが、ドイツ自身

時々あります。私自身も個人的には経験し

も相当程度心得ていて、意図的にフランスな

たこともありますが、同時に恫喝し返したこと

りどこかなりと一緒になってやろうとしており

もあります。どれだけ効いたかは別にして

ます。

…。

うな関係」については、そういう印象も何かの

蛇足ですが、日本にとっての悲しいことは、

やはり大きな国ですから相当程度譲らなけ

そういう適当なパートナーがいないこと、アメ

ればいけないのは、それは止むを得ないの

リカさんだと一寸大きすぎちゃって、他の近

で、それが嫌だったらもっと日本が大きくな

所の人達はどうも考え方が違いすぎちゃっ

ったり強くなったりしなければいけないのだ

て〔笑〕、なかなかパートナーになれないの

ろうと思います。そうではないのだから、時々

が日本のつらさです。愚痴ばっかり言ってい

無理難題を言われますけれども、ある程度

てもしょうがないので〔笑〕、何とかしなければ

は無理を聞かざるを得ない。それは実はアメ

いけないのですが、ドイツとは一寸違うという

リカだけでなくて他の国との関係でもそうだと

ことです。

思います。 逆に日本は小さな国を時々恫喝したり無

Q4: ドイツは大統領が世界に向けて謝罪を

視したり、アメリカに時々ひどい目に遭わさ

しました。世界もそれを受容した。では日本

れていて、その辺よく分かっている筈なのに、

の場合村山談話をあれだけ踏襲しています

配慮が足りないなと思うことは時々あります。

のに、これは世界では通用していないのでし

米国の奴隷ではないと思います。ただ力の

ょうか。石原慎太郎さんが「日本はアメリカの

差が相当あることは確かです。それは実は

妾のようなものだ。奴隷のような関係だ。それ

日本とアメリカだけではなくて、日本とEUだっ

が永続的に続くのだ」と言っていましたが、

て、日本と中国でもあります。渡る世界は鬼

米国にいらっした時、現在でもそういうことを

ばかりというつもりで、外交というものはやら

感じたり、恫喝されたりということはありません

なければいけないと思います。

でしたでしょうか。 以上

27

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