ロシア連邦の少数民族

May 8, 2018 | Author: Anonymous | Category: N/A
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ロシア連邦の 少数民族 木村 英亮 "

Nationalities in Rus5ian Federation Hidesuke



KIMURA

ソ連の解体とロシア 連邦

ソ連を構成していた 15共和国の名称民族は 、 1 ㏄ 0 年ころ相次いで 主権 宣言をおこなった が 、 1991年八月政変後独立を 宣言し、 バルト 3 国は 9 月に分離独立を 認められ、 他の 12共 和国も

12月の CIS 結成によって 独立を達成した。 しかし、

ソ連は

100以上の民族をふくん

でおり、 今度はそれぞれ 独立した国のなかで、 名称民族以外の 民族の自立を 求める動ぎが

盛んになり、

さらに解体が 進むような現象もみられる。

の原則に合致するとして

歓迎されたが、

ソ連の解体については、

民族自決

民族的混住のなかでは 民族間の緊張は 避 け 難く、

また分業体制の 崩壊によって 経済活動は低下している。

ったロシアは、 ロシア人が 81.53%(表 2) を占める国ではあ るが、 それ自体内部に 多くの自治共和国、 自治州、 自治管区などの 民族的国家的組織をも つ多民族国家であ った。 ソ連解体前から、 主権 や独立を宣言していた 自治共和国などは、 ソ連最大の構成共和国であ

1992 年 3 月、 ロシア連邦条約に 調印して結合を 保とうとしたが、 チェチェン・イソグーシ 共和国と タ タルスタ ソ 共和国は、 調印を拒否した。 あ くまで独立を 達成しょうとしたチェ

チェン人は、

ロシア政府の 武力鎮圧によって

多くの犠牲者をだし、

現在は休戦中であ

るが、

解決の展望はない。

日本では、 リムであ

対する関心から、 ロシア連邦のなかでは 同じチュルク 語群ムス るタタール人が 比較的注目されているが、 その他の小民族については、 紹介や論 中央アジアに

述 が少ない。 タタール人はまた、 表 2 に示したようにロシア 連邦のなかでもっとも 人口が 多い。 タタルスタン 共和国は、 ロシア連邦の 21 共和国のなかでもっとも 人口が多い バシコ ルトスタ

ソ 共和国に次ぐ ( 表

D)o U4位 54万人のユダヤ 人は、 タタール 人 と同じく分散民族

るが、 84 万人のドイッ 人 と同じく共和国をもたない。 この 2 つの民族は、 とくにソ連 解体後国外移住によって 大幅に人口を 減らした。 ロシア連邦の 面積の 81.0% を占めるシベリアでは、 表 3 に示したように、 1700年ころに は原住諸民族が 半分を占めていたが、 その後ロシア 人の移住によって 急速に比重を 減らし であ

"

社会科教育講座

110

木村 英亮

表1

ロシア連邦

共和国・自治州・

自治管区一覧 人口は㎎㏄.1.1 現在

共和国

km2

アディ ケ ア アルタイ バ シコルトスタ



プリヤーチア ダゲスタ ソ イソグーシェ チア a. カバ ルダ ・バルカル

力 ルム イキア カラチャイ・チェル カレリア

ケス

マリイ・エル モルドヴィア サハ H ヤク 一 チア ) ゴヒ オセチア・アラニ ア タ タルスタ ソ

トゥイヴ ァ ウドムルト ハ カシア

チェチ

/lkm2

l面積人口人口密度 ㎝ 1㎝人 人 7 .6 4M .0 59 .3 92 .6 2 ㏄.8 2.2 143.6 4 ㏄9.3 羽.5 351.3 1049.6 3.0 印.3

41.7

ゥラソ ゥデ % ハチカラ

ナズラニ 々 リチク エリスタ

12 .5 76.1

お9.0 783.8 318.5

63.2 4.2

14 よ

433.7

30 . 9

チェル ケスク

783.8 1185.3 7 ㏄.2 955 .2

4 .6 2.9 33,0 % .5

ペトロ ザヴ ナック シ クティフカル ョシカル・オラ サラソ スク

3103 .2

10 品.5 ㏄ 1.0 37 ㏄.5

82 .8 % .3

ウラジカフカス カサン

1.8 ㏄.9

キ ス イル

8 .0 ㏄.0

0 .3



口 1 ㏄0 人

176.9 47 .9

'り ㏄ Ⅹ 3 ㏄.4



172 .4 415.9 23 .2 26 .2

391.0 71 .7 253.0 ㏄.9 119 Ⅱ

282.7 245.8 278.6 鱗8.7 223 .9

ヤクーツク

3あ .3 Ⅰ

077 .4

170.5

芙。. '

42.1 61.9

16% .7 品4 .0

18.3

Ⅰ㏄2.8

74.4

イジェフスク アバカ ソ グロズヌイ チェボクサルイ

舖.4

1450.1

5.8

ビロビ ジ ャソ

㏄・

0 .エ

ェソ a.

チユダァシ 、 チャ ヴァシ

2 ㏄ 7.1



音 マイコ プ ゴルノ・アルタイスク ウファ

弗 " .'

9 .5

兜お

6% Ⅱ 162 .0 182 .7 4 ㏄.7

自治州 l

ユダヤ人自治州

21

自治管区 クラス / ヤ ルスク地方 タイムイル ( ドル ガソ ネネッ ) エヴェソキ アルハ ソ デリスク 州 ネネ ッ イルクーツク 州 ・

ウスチオルグ・プリヤート カムチャツカ 州 コリヤーク ベルミ 州 コミ・ペルミヤク

㏄ 2.1

47.2 20 .7

0 .03

ドゥディン カ トゥー ラ

巴.0

767.6 176 .7

47 .2

0,3

ナリア ソ ・マル

26 .6

142 .4

6.4

ウスチ・オルディンスキー

1ユ .9

㏄ 1.5

33.4

0.1

パラナ

32 .9

155 .9

4.8

クディム力 ル

㌍.8

222.4

6 .1

4 .2

チュメ ソ州 ハソ

ティ・

マソシ

ヤ マロ・ネネ・ ソ

チタ 州 アギソ ・プリヤート チェコ



523 .ユ

1344.8

2.5

ハンティ・マンシイスク

訪.6

7㏄ お

4 ㏄.7

0.7

サレハル

㏄.7

19 .0

79 .2

4.2

ア ギソ スコエ

737 .7

㏄.9

0.1

アナディリ

『ロシア自然地図帳 』、p.l ㏄ 一 1 ㏄



9 .2 13 .9

ロシア連邦の 少数民族



2



ロシア連邦の 諸民族 (1989年 )

人 う

147021869



100.00W*) モルダヴィア



力 ルム イク

119865946 5522096 4362872 1773645 1345273 1206222 1072939 898999 842295 714833 643698 635865 544016 536848 532390 417425 402275 386055

ロシア (レ八

№Ⅰ

タタール a.

ウクライナ チユダァシ バシ キール

ベロルシア モルドヴァ チェチ ェソ

ドイツ ウドふかト マリ カザフ ア ヴァール b

ユダヤ アルメニア

プリヤート

81.53

ジプシー

3.76

カラチャイ

2.97

コミ・ペルミヤク

1.21

グルジア

0 . 92

ウズベク

0 . 82

カレリア

0 . 73

アディ ゲ

0 . Gl

朝鮮

0 . 57

フ - ク

0 . 49

ポーランド

0 . 44

タバ サラソ

0 . 43

ギリシア

0 . 37

ハカス

0 . 37

バルカル

0 . 36

/ ガイ

0 . 28

リトアニア

0 . 27 0 . 26

アルタイ チェル ケス

0 . 26

ブイソ d.

0 . 24

レ、ソト

0 . 23

エストニア

クムイク レズ ギン

380242 353348 336309 335889 277163 257270

イングーシ

215068

0 . 15

トゥヴァ 北方小民族

206160

0 . 14

181517

0 . 12

オセット カバルディン ヤクート ダル ギソ c. コミ アゼルバイジャ



1Ⅰ1



0 . 17

0 . 12(

甘り

0 . 11 0 , 10 0 . 10 0 . 10 0 . 09 0 . 09 0 . 08 0 . 08 0 . 07 0 . 07 0 . 06 0 . 06 0 . 06 0 . 05 0 . 05 0 . 05 0 . 05 0 . 05 0 . 03 0 . 03 0 . 03 0 . 03

以下略

0 . 23 0 . 19

172671 165821 152939 150332 147269 130688 126899 124921 122908 107051 106245 94594 93587 91699 78500 78341 73703 70427 69409 50764 47102 46829 46390

a . ナガイバク 人 、 シベリア・タタール 人を含



C

b. アソディ諸民族、 アルチ人を含む . カ 4 タグ 人、ク バチ人を含む d. 本来の ブイソ 大と ぺ テルプルク・フィ



人を含む

ロシアの諸民族 コ 、 p,433.

ている。 同じ現象は表 4 のように、 ここ 2 一 ㏄年にも、 開発が進んだ ヤ マロ・ネネ で 繰り返されている。

ロシア連邦は 、 次のような語族、 語群の諸民族から 構成されていた。 すな ね ち、 1) イソ ド ・ヨーロッパ 語族 a. スラヴ語群 b. バルト語群 c. ドイツ語群 d. ギリシア語群 e. ノ ラ ソ 語群 f.アルメニア語群 9. イソ ド ・アーリア語群

2) 北 カフカス語族 * a. アブハジア・アディ ゲ 語群 b. ナフ ・ダゲスタ ソ 語群 3) アルタイ語族 a. チュルク語群 * b. モソゴル語群 c. ソングース・ 満州語群



など

112

木村 英亮 ベリアの 人

[コ 口

0071699099 0991235778



934.3

303.

5.730.0 9.366 12,309.0 16.674.0 22,559.0 25.353.4 28.615.0 32,099.0

861. 1.064. 788. 816.

32 14

490095969

99Ⅰ 1

4

50

( 千人 )

Bremmer,

11 6 5

957.

4

1.205. 1,378. 1.617.

5 5 5

p.194

名称民族国家組織中の 名称民族の比率の 推移



1926

1959

1970

アルタイ共和国 ブリヤート共和国 アガ ・プリヤート 自治管区 ウスチ・オルグ 自治管区 トゥイヴァ共和国

4 3

2 4

2

8

2 9

3 4

2 0

2 2

2 3

8 8

4 8

5 0

5 2

6 0

3 4

3 3

3 4

7 5

5 7

5

9

6 1

ハ カシア共和国

4 9

1 2

1 2

1 2

サハ共和国

8 2

4 7

4 3

3 7

1 7

1 5

13



原住民 族拷

原准 民族人



1979

タイムール

ドル ガソ ・ネネ ッ ) 自治管区

ヤ マロ・ ネ ネツ自治管区

2 2

2 2

1 1

ハソ ティ・ マソシ 自治管区

1 4

7

3

チュク チ 自治管区

2

1

1 1

8

コリヤーク自治管区

1

9

1 9

1 6

エ サェソキ 自治管区

3 4

2 5

2 0

BIemmer,

p



194

d. 朝鮮語群 4)

ウラル・ユカギ ・カム

エスキモー・ ア

語族

a. フィ







ゴル語群 *

c. ユカギ一ル語群

ャウ

6)



ノン

チレ

5) チェコ

-@

ツカ語族 ト

語族

7)

孤立語族

b. サモエ ード語群

4177411

(

ロシア連邦の 少数民族

本稿は、

113

これらのうち 木印をつげた 民族について、 今後の研究の 基礎作業として 若 千の

整理をおこなったノートであ る。 表記がまちまちな 民族名の訳語も 、 統 Ⅰ確定を試みた。 プリヤート 人 、 ヤクート人など 極東地方の諸民族については、 刈 穂 に 構成は 、 大きく

1.

ゴヒ

カフカスの諸民族

2.



3.

チュルク語群諸民族





ウ ゴル語群諸民族 に わ け 、 この順で述べた。



︵ Ⅰ ,

Ⅰ,

ⅠⅠ・ⅠⅠ

, 1

ク共 @ イ イ タ Ⅱ・Ⅰ ル ム ス ∼ リ ト

川 フ @ ス @ Ⅰ く 1 Ⅰ @ Ⅰ @。 @ Ⅰ レ /'" ラ I グ ク

Y// ㌔。







カ チ マ /



ン ,も フ @ハ ヘ 。 ⋮ / J,¥

114

木村 英亮

]. 北 カフカスの諸民族 ゴヒ

カフカスは、

カフカスの中央を 西 ゴヒ から東南に走る 大力フカス山脈の

南側の ザ カフカ ジェ

とともに、

地勢が複雑で 多くの民族が

側の地域で、 6 つぼ」とよ ぱ

メヒ

集まり、 「民族の

ね 、 ロシアのどの 地域よりも波乱に 富んだ歴史をもっている。 古くから、 スキタイ、 ペル 、ンア 、 ローマ、 アラブ、 ハザール、 モソコ ルによって次々に 支配され、 オスマ ソ ・トルコ、

サファビ一朝イラ ソ 、 ロシア帝国の 国 に含まれることになった。

ここでは、

3

国が勢力を分け 合った後、 19世紀のうちにロシア 帝

北 カフカスを、 西部の黒海に

面する地域、

中央部のオセチアの 地域、 東部の

チェチ ェ ニア、 イソグーシェチア、 ダゲスタンの 地域と大きく 3 つに分けて述べ、 最後に

北カフカスに 北 接する 力ル ムノキアについて 付け加えることとしたい。 語族、 語群との関連では、 大部分は北カフカス 語族であ るが、 カラチャイ 大 、 バルカル 人 、 クム イク 人 、 / ガイ人は、 3) のアルタイ語族 a. のチュルク語群であ り、 オセット人 は 1) イソ ド ・ヨーロッパ 語族 f.イラ ソ 語群で、 (4)の 力 ルムイク人は、 3) b. の モソコ ル 語群であ る。

(]) 西 部 ここは、 チェル ケ シア、 英語でサーカシア (Circassia) とよばれ、 6 世紀にギリシア 人 俊道士がキリスト 教を導入し、 9 世紀末までにスラヴ 民族と通商・ 外交関係をもつように なった。 1241 一 42 年モ ソコ ルが侵入したが、 13 世紀末までに 東方正教のグルジアの 支配下 にはいった。 カバルダ種族はバルジアの 支配から脱しようとして、 東へ移住し、 15 一 17 世 紀に北カフカスを 支配した。 ロシアは、 1557 年にカパル ダ を保護国とするが、 オスマン・ トルコと競合して 戦争を繰り返し、 1774 年の キュ チュク・カイナルジャ 条約によってカバ ルダ を獲得、 1827 年までにバルカリアを 併合した 0 さらに 1829 年のアドリアノープル 条約 では、 クバソ川 以南のチェル ケシア を得た。 19 世紀半ば、 ロシアの支配とコサックとの 街 突を逃れて多くのチェルケス 人がアナトリアなどに 移住した。 1 ㏄ 0 年マイコ プ に石油が発

見され、 スラヴ民族が 多数移住して 労働者階級を 形成した。 ムスリムは 北 カフカスという 自治国家を樹立し、 1918 年 5 月 H1 日に独立したが、 1919 年 1 月 デニキソ 軍の侵攻によって 指導者は逃亡した。 1920 年赤軍が白軍に 勝利し、 1921 年 1 月 20 日ダゲスタ ソ 自治共和国と ともに山岳自治共和国が 形成されたが、 やがて民族毎に 分離し、 1924 年 7 月までに消滅し Ⅰ。

ナ-

1930 年代末までにチェル ケ シ フ は、 西部のアディ ゲ 、 中央部のチェルケス、 東部の力 ルダ の 3 地域に分割される。

/Ⅹ

アチィゲ人 ロシア連邦に 12万 2 ㏄ 0 人、 ァ デイケア共和国に 9 万 54 ㏄ 人 、 クラス ノ ダー ル地方に 2 万 8 ㏄ 人 、 その他トルコなどにも 住む。 スソナ 派イスラム。 ァブ ハズ・ ァテ ィ ゲ 語群アディ ゲ 語を使用する。 広義のアディ ゲ ( チェルケス ー カバルダ 人 、 チェルケス 人、 、ンャ プスタ人などを 含む ) のなかの狭義のアディ ゲ人 。 1992 年 4 月広義のアディ ゲ の民族

ロシア連邦の 少数民族

115

大会が開かれ、 全 アディ ゲ 民族国家」の 創設、 シャプ スグ人 自治単位の復活、 トルコ在住 アディ ゲ 諸民族の帰国などを 決議した。 1 ㏄ 3 年 7 月には世界チェルケス 火大会も開かれて 「

いる。

アディ ゲア 共和国 民族構成は、 ァテ ゲ人 22.09% 、 ロシア人 67.96% 、 ウクライナ 人 3.18% 、 ァ ルメニ ァ人 2.42% であ る。 この共和国は、 1922 年 7 月 27 日、 チェルケス ( ァ デ イゲ ) 自治州として 創設され、 1922 年 8 月 24 日から 1928 年 8 月 13 日まで ァテ ィ ゲ ( チェル ケス ) 自治州、 以後クラス / ダール地方アディ ゲ 自治州、 1991 年 7 月 3 日アディ ケ ア共和 国 となった。 19㏄年の大統領選挙では、 ジュガ ノブがェリッイ ソをはるかに 引き離した。 ィ

との対立が潜在している。 穀物、 ヒマワリ栽培。

土地私有化問題でロシア 人とくにコサック

食品産業が中心、

農業はビートや

ゲ人

と アディ

キラチャイルイラ ( 自称 )0 ロシア連邦にⅠ 5 万 300 人、 ヵ ラチャイ・チェ ル ケス共和国に 12 万 94 ㏄ 人 以上、 その他中央アジア、 カザフスタ ソ 、 トルコ、 シリア、 合 衆国 (2 万人以上 ) に居住。 チュルク語群キプチャク 語派。 1937 年以後ロシア 文字。 スンナ カラチャイ 人

派イスラム。

チェルケス 人

アディ

ゲ ( 自称 )0 ロシア連邦に

5

万 8 ㏄ 人 、 カラチャイ・チェルケス 共

和国に 4 万 2 ㏄ 人 。 カフカス諸諸 のアプ ハズ・アディ ゲ 語群に属する。

カラチャイ・チェルケス 共和国 民族構成は、 ヵ ラチャイ 人 31.19% 、 チェルケス 人 9. 70% 、 ロシア人 42.40% 、 アバジソ人 6.62% 、 / ガイ 人 3.13% 、 ウクライナ 人 1.52% であ る 0 1922 年 1 月 12 日 ヵラ チヤ イ ・チェルケス 自治州形成、 1926 年 4 月 26 日 ヵラ チヤ イ 自治 川とチェルケス 民族管区へ、 後者は 1928 年 4 月 30 日にチェルケス 自治州、 1943 年 10 月村独 協力のかどでカラチャイ 自治州解体、 1957 年 1 月 9 日カラチャイ・チェルケス 自治州が形成 されたが、 もとの山岳地帯でなく 平地に移され、 ロシア人、 アパジン人も 増加して、 自治 のレベルは戦双より 下がったようであ る。 1992 年 3 月共和国としてロシア 連邦に参加の 石油・化学工業が 中心で セメソト も生産されている。 工業生産の落ち 込みは 大 ぎく 、 失 業 率はロシア最大であ る。 ゲ ( 自称 )0 アディ ゲ人 、 チェルケス 人 とともにアディ ゲ 民族共同体 なづ くる。 ロシア連邦に㏄ 万 6(X ㏄ 人 、 カバ ルダ ・バル 力ル 共和国に 36 万 40 ㏄ 人 、 クラス / ダール、 スター プ ロポリの諸地方、 北オセチアにも 居住し、 旧ソ連での総人口は 39 万 1 ㏄ 0 大 で、 東南アジア、 西ヨーロッパ、 合衆国にも住む。 カバルダ語はアブハジア 語 と同じ カフカス語族アブハジア・アディ ゲ 語群に属する 0 ロシア文字のスンナ 派イスラム、 モズ カバルダ 人

アディ

ゴヒ

ドク・カバルダ 人は基本的に 東方正教



バ )L力 ル人 タウル ラ ( 自称、 山岳住民の意味 ) 。 ロシア連邦に 7 万 8 ㏄0 人、 カバ ルダ バルカル共和国に 7 万 800 人、 カザフスタンに㏄㏄ 人 、 キルギ ジア に 21㏄ 人 、 総人口 8 万 5 ・

1 ㏄人 。



北 カフカス、 アラン諸種族とブルガル 人 、 キプチャク人の 混交によって 形成、 バ

力ル 語はチュルク 語群の キ ブチャク語派に 属する。 ロシア文字。 ス ソ チ 派イスラム。 カバ ルダ ・バルカ JL 共和国 民族構成は 、 ヵバ ルダ 人48.24% 、 バル ヵ ル人、 9.39% 、

116

木村夫 亮

ロシア人 31.95% 、 ウクライナ 人 1.70% 、 オセット 人 1.33% 、 ドイツ人 1.14% であ る。 1918 年 3 月 31 日ソヴェト権 力成立、 1920 年 3 月末まで国内戦、 山岳共和国の 一部から 1921 年 9 月 1 日カバルダ自治州が 分 硅 、 1922 年にはバルカリアも 分離し、 1 月 16 日カバ ルダ ・バ ル 力ル 自治州が形成され、 1936 年 12月 5 日カバ ルダ ・バル 力ル 自治共和国となった。 19 何 年 対 独協力を理由として

廃止され、 パルカル人は 追放され、 カバルダ自治共和国となった。

1957 年カバ ルダ ・バル 力ル 自治共和国が 復活、 1991 年 1 月㏄田主権 宣言、 この年コトフ 大 統領が選出され、 1992 年 3 月共和国としてロシア 連邦に参加したが、 かく ルダ 、 バルカル 両民族の関係は 緊張しており、 分 稚の動きがあ る。 食品工業の比重が 高い。 セリフ デソ、 タソ グステ ソ などを産出する。 工業生産は落ち 着 いている。

上 02 つの共和国では、 チェルケス、カバルダ両民族は、 トルコ系のカラチャイ、 パルカ ル と 言語、 文化が違っており、 共存していることになる、 宗教はすべて ス ソ チ 派イスラム。

(2)

中部

オセット 人

イロ

ソ、

ディゴロ

ソ ( 自称 ) 、

セチアに 33 万㏄㏄ 人 、 カバ ルダ ・バルカリアに

フサイラク



ロシア連邦に 40 万 20 ㏄ 人 、 北 オ

1 万人、 スタ プ ロ ー ポリ地方,カラチャイ・

チェル ケス に㏄㏄ 人 、 その他グルジアに 16 万㏄00 人、



ち 6 万 50㏄人は甫オセチアに 住む。

カフカス唯一の イラソ 系民族。 イソ ド ・ヨーロッパ 語族、 イラ ソ 語群の言語を 土着の民族 がう げ いれ、 ロシア文字を 使用。 東方正教、 一部は ス ソ チ 派イスラム。 北 オセチア共和国 ( アラニア ) 民族構成は、 ォ セット 人 52.95% 、 ロシア人 29.91% 、 イソグーシ 人 5.18% 、 アルメニア 人 2.15% 、 グルジア 人 1.94% 、 ウクライナ 人 1.60% 、 ク 々 イク 人 1.㏄ % であ る。 スキタイ人のあ とサルマート 種族の アラソ人 、 アラ二人が紀元双

地域に移動し、 12世紀にグルジアの 形吾で 東方正教を 9 げいれ、 10 一 13 世 紀に建国したが、 モソコ ルに攻撃され、 キプチャク・ハン 国に支配され、 草原から山地へ 移動した。 統一できないままオスマ ソ ・トルコから 1774 年にロシアに 併合された。 第 1 次

7 世紀ごろこの

世界大戦にさいして、

この地域唯一のキリスト 教民族として

孤立を脱するため、

北のテレ

ク・コサック と 結 ひ 軍事力をつげた。 1921 年 1 月、 山岳自治共和国内にウラジカフカス ( オセチア ) 管区、 1924 年 7 月 7 日比オセチア 自治州が形成され、 1936 年 12月 5 日 北 オセチ ア自治共和国となった。 1990 年 12 月主権 宣言、 Ⅰ㏄3 年 11月ゴ オセチア共和国となる。 なお、 1922 年 4 月 20 日形成された 甫 オセチア自治州のオセット 人は、 1988 年に北オセチ アとの統合を 要求したが、 弾圧されたため 数千人が北に 逃れた。 グルジア政府は 、 1 ㏄ 0 年 12月 11 日に 甫 オセチアの自治を 廃し、 シダ ・ハルトリ地方と 改称した。 オセット人は 翌日 ヒ

南 オセチア民主共和国を 宣言してこれに

応えた。

北 オセチ ァ の東隣のイソグーシ 人は、 ドイツ軍に協力したとして 19 幼年に共和国を 解体 されたとき領土の 一部が北オセチア 頓 とされたが、 19㏄年 5 月その返還を 要求、 10月オセッ ト人は係争地の 村を襲い 5 万人以上のイソバーシ 人がイソバーシェ チア に逃れた。 北 オセチアは、 穀物や プドゥ が栽培され、 酪農もおこたわれ、 食品工業も盛んであ る。 鉛 、 亜鉛の非鉄金属、 機械製作、 金属加工もおこたわれていたが、 現在工業生産は 激成し

ロシア連邦の 少数民族

117

ている。 カフカス山脈を 横切る道路は 、 北 オセチアの首都オルジョニ キゼ からトビリシに いたるグルジア 軍用道路しかなかったが、 これは冬は閉鎖された。 1980 年代南北オセチア を 結ぶ トソ ネルが開通し、 新 ルートが完成した。

(3)





イングーシ 人 ガルガイ ( 自称 )0 ロシア連邦に 2V 万 5100 人、 うちチェチ ェソ ・イソグ ー 、ン 共和国に 16 万㏄㏄ 人 、 北オセチアに 3 万 28 ㏄ 人 、 その他力ザフスタ ソ 、 中央アジア、 近 東 にも 小 グループが住み、 総人口は 23万 70㏄ 人 以上。 北 カフカス語族 テ フ・ダゲスタ ソ語 群 、 ロシア文字、 ス ソ チ 派イスラム。

チェチェン 人 ノ ブチ一 ( 自称 )0 ロシア連邦に 89 万 90 ㏄ 人 、 チェチ ェソ ・イソグーシ 共 和国に 73 万 4500 人、 ダゲスタ ソ に 5 万 80 ㏄ 人 、 スタ ヴ ロ ー ポリ地方に 1 万 50 ㏄ 人 、 ヴォル ゴグラード州にⅠ 万 1100 人、 力ルム イキア に 8300 人、 アストラハン 州 79 ㏄ 人 、 サラトフ 州 6 ㏄ 0 人チュメ ソ 州に 46 ㏄ 人 、 北オセチアに 26 ㏄ 人 、 モスクワに 2100 人の他、 カザフスタ ソ に 4 万 9500 人、 キルギ ジア に 2600 人、 ウクライナに 1800 人居住する。 北 カフカス語族アブ ハジア・アディ ゲ 語群、 19% 年 よりロシア文字。 スソナ 派イスラム。 民族構成は、 チェチ ェソ人 57.82% 、 イソグーシ 人 チェチェン・イングー シ 共和国 12.89% 、 ロシア人 23.12% 、 アルメニア 人 1.17% であ る。 ロシアは、 1810 年イソグーシを あ わせ、 1818 年グロズ チャ 要塞を築きチェチ ェ ニア侵攻をすすめた。 チェチ ェニアと ダゲ スタ ソ には、 18% 一 59 年シャミ 一リを 指導者とするイスラム 神政国家があ り、 抵抗した。 ロシア革命後、 1921 年 Ⅰ月に山岳自治共和国が 成立、 1922 年 11 月 チェチ ェソ 、 24 年 7 月 イ ソ グーシ自治州が 形成された。 1934年Ⅰ月面自治州は 合同し、 19㏄ 年 12月自治共和国となっ た。 1944 年この共和国は 対独協力を理由として 解体され、 50 万人がカザフスタ ソ に追放さ れた。 1957 年に復活されたが、 不在時に入植したオセット 人 との紛争を抱え 込んだ。 。 19 90 年 10月の大統領選挙で 独立を主張するドゥダ 一 エフが当選し、 11月 2 日に独立を宣言し た。 1992 年 6 月ロシア連邦の 法律で チ,チヱソとイソグーシに 分離したが、 国境 線 はまだ 確定していないようであ る。 ドゥダ一ェ フ は、 1991 年 11 月 アディ ゲ人 、 アブハジア 人 、 ダ ゲスタ ソ 諸民族が参加する 山岳諸民族連合、 1 ㏄ 2 年 10 月 カフカス諸民族連合を 創設し 、 反 ロシア、 反 グルジアの姿勢をはっきりさせた。 ロシア政府は、 ロシアからの 分離を主張す るチェチ ェソ 共和国に 1994 年 12月に軍隊を派遣してこれを 阻止しようとしたが 失敗、 1996 年ようやく休戦が 成立した。 この戦争で 50 万人以上が難民となり、 7 万人以上が犠牲となっ た 。 チェチ ェソ 共和国の人口は、 1992 年 130 7 万人から 1995 年 92.1 万人に減っている。 ・

石油、

天然ガスの採掘と

精製の他、 化学工業、 機械製作工業があ り、 穀物、 果樹、

ブド

ゥが 栽培される。 ダゲスタン諸民族

カフカスのダゲスタ ソ に住む諸民族を 総称する 0 ダゲスタンは、 山岳の地を意味する。 このうち、 カフカス語族の 々フ ・ダゲスタ ソ 語群に属する 諸言語を用いる 民族を指すこ ともあ る。 この場合は、 チュルク語群の クム イク 人、 / ガイ人が除かれる。 これらの民族 ゴヒ

ゴヒ

118 は、

木村 英亮 現在ダゲスタン 共和国に住む。 表 5 の民族別の都市人口の 比率は興味深い。 ロシア人、

ウクライナ 人、 ベロルシア人のスラヴ 3 民族、 グルジア 人 、 アルメニア人の ザ カフカ ジェ

02 民族、 タタール 人 、 ユダヤ人は、 都市人口の比率が 高いが、 これは他の地域において も同じであ る。 原住民族では、 高いラク 人 、 クム イク 人 、 チェチ ェソ人 と低い



ガイ 大 、

ツァ フル人に分かれている。

ア ヴァー }L 八

%アルラ ル ( 自称 )0 ロシア連邦に 54 万 40 ㏄ 人 、 ダゲスタ ソ に 49 万 6100 人

住む。 チェチェン共和国、 力ルムイク共和国の 他、 アゼルバイジャ ソ に 4 万 41 ㏄ 人 、 グル ジア に 牡 00 人、 カザフスタ ソ に 28 ㏄ 人 住み、 総人口は 60 万Ⅵ㏄人であ る。 ア ヴァール語は 、

リソグア ・フラ ソカ ( 共通語 ) になっている。 アダ リ 人 アグル、 アグラ ル ( 自称 )0 ロシア連邦に 38 ㏄ 人 、 総人口 1 万 87 ㏄ 人 。

5



ダゲスタ



1

万 77 ㏄ 人 、 うちダゲスタ ソ に 1 万

各民族の都市住民の 比率

ア ヴァール ( 人 )

( ク乙 )

30 .8

レズ ギソ

38 .0

31.1

/ ガイ

13 .3

48 .8

ロシア

84 .8

アルメニア

85 .0

ルトリ、 ソ

ベロルシア

88 .8

タバ サラン

25 .8 33.1

グルジア

93 .8

タタール

86 .8

ダル ギソ

31.5

ウクライナ

89.7

ユダヤ

99 .0

ツァ フル

13 .2

ク々イ ク

47 .3

チェチェン

42.7

ラク

64 .2

アグリ アゼルバイジャ



N0 .72. p .5 ク々

イク 人

チェチ ェソ



キウ ムキ ( 自称 )0 ロシア連邦に 27 万 72 ㏄ 人 、 ダゲスタ ソ に 23 万 1 ㏄ 0 人、

イ ソグーシに㏄㏄ 人 、 北オセチ ァ に 95 ㏄ 人 、 総人口は 28 万 2200 人。 1928 一 %

年 ラテ ソ 文字、 19% 年以降ロシア 文字、 スソナ 派イスラム。 / ガイ 人

/ ギアイ ( 自称 )0 ロシア連邦に 7 万 37 ㏄ 人 、 ダゲスタ ソ に 2 万 83 ㏄ 人 、 チェ

チ ェニア に 69㏄人など 0 スソナ 派イスラム。

タパ サラン 人

タバ サラソ

( 自称 )0

ロシア連邦に 9 万㏄㏄ 人 、 ダゲスタ ソ に 7 万 82 ㏄ 人、

総人口 9 万 7500 人。 ロシア文字、 スンナ派イスラム。

ダルギン 人 ダル ガソ 、 ダル ガ ソチ ( 自称 )0 ロシア連邦に 35 万 33 ㏄ 人 、 ダゲスタ ソ に 28 万 4m 人 、 スタ ヴ ローボリ地方に 3 万 2700 人、 力ルム イキア に 1 万 2 ㏄ 0 人、 総人ロ㏄ 万 5 ㏄ 0 人。 ロシア文字、 ス ソ チ 派イスラム。

レズギン 人

レズギヤル

( 自称 )0

ロシア連邦に 25 万 7 ㏄0 人、 ダゲスタン南東部に 20 万 44

00 人、 アゼルバイジャ ソ に 17 万 1400 人、 旧ソ連総人口 46 万㏄㏄ 人 。 イスラム、 ス ソ チ 派、

一部はシーア 派。

ロシア連邦の 少数民族

119

ダゲスタン共和国 人口は 180 万 21 ㏄人で、 民族構成は 、 ア ヴァール 人 27.53% 、 ダル ギソ人 15.㏄ 拷、 ク 々 イク 人 12,㏄ 拷 、 レズ ギソ人 11.胆拷 、 ラク 人 5.㏄ 拷 、 タバサラソ 人 4. 34% 、 ノ ガイ 大 1.57% 、 ルトゥリ 人 0 83% 、 アグリ 人 0 77% 、 ツァブ 人 0 29% 、 他にロ シア人 9.24% 、 アゼルバイジャン 人 4.19% 、 チェチ ェソ人 3.21% などを含んでいる。 古代にカフカス・アルバニア 王国、 中世グルジア 王国の一部として 南部にキリスト 教が はいったが、 7 一 9 世紀にはアラブ、 11 世紀にセルジュ ク ・トルコ、 13 一 14 世紀モ ソコ ル が支配し、 ス ソ チ 派イスラムが 広まった。 12世紀以降 ア ヴァール人のサリール、 ラク人の ・





、ン ャムハルなどの 封建国家があ ったが、 統一国家は発展しなかった。



16 一 17 世紀イラ

ソと

トルコが覇権 を争い、 やがて 15㏄年に北のアストラハン・ ハソ 国を滅ぼしたロシアも 加わっ た。 ロシアは 1813 年に最後的に 併合したが、 その下でイスラム 神秘主義の戦闘的教団が 18 30 年代にイマム 国家を形成して 抵抗した。 1859 年に指導者シャミ 一リが 降伏するとロシア は 1 ㏄ 0 年ダゲスタ ソ 州を づ くり、 1890 年代に ヴ ラジカフカス 鉄道を敷設して 結合を強めた。 1917 年ムスリムはテレク・コサックと 結び、 0 月 20 日テレク・ダゲスタン 共和国を設立 したが、 民族・宗教・ 領土でまとさらす、 12月に自壊した。 ムスリムはⅠ 918 年 3 月独立共 和国を形成し、 ロシアに共同して 対処しょうとした 0 白軍はⅠ 919 年Ⅰ 月 この地域を支配し たが、 ムスリムを徴兵しょうとして 抵抗にあ った 0 ムスリムは自治を 約束した赤軍につき、 1920 年 1 月白軍が撤退、 921 年 1 月 20 日、 ダゲスタ ソ 自治共和国が 成立する 0 1 ㏄ 1 年 5 月 共和国となる。 1993 年の憲法草案についての 表 6 は、 ロシア中央政府に 対する支持が 少ないことを 示し Ⅰ



ている。

分の 3 は山岳で、 気候は温暖で 乾燥している。 石油、 水力資源に富み、 牧羊が行われ、 果樹、 ブドゥも栽培される。 4

表6

1993.12.12の憲法草案に 対する賛否 否

賛 20 .8

79 .2

30 .4

69 .6

33 .8

66 .2

17 .4

82 .6

山岳地域

21.1

78 .9

山麓地域 平地

17.1

82 .9

13 .0

87 .0

全選挙人 都市住民 マ ハチカラ

農村住民

N0 .72. p .18

(4) 力





ルム イキア は 北 カフカス地域にははいらず、 また 力 ルムイク人は 北カフカス語族でも

ないが、 ここに付した。

120

木村 英亮 ハリム グ 。 ロシア連邦に 16 万 58 ㏄ 人 、 力ルムイク共和国に 14 万 6500 人、

力 んム イク 人 その他アストラハ

ソ、

ヴォルゴグラード、 ロストフ、 オレ ソフ ル ノ の各州、 スタ プ ロ ーポ

地方、 シベリアに住む。 文字は 1925 年からロシア 文字、 3 分の 1 以上が力 かん イク語を使 え 、 大部分はロシア 語が話せる。 ヨーロッパ地域唯一の 仏教民族 ( ラマ ) 、 東方正教。 力 ん ムノキア共和国 民族構成は 、 力 ルム ィク人 45.36% 、 ロシア人 37.67% 、 ダル ギ ソ人 3.㏄イ 、 チェチ ェソ人 2.田堵、 カサ ブ大 1.95% 、 ドイッ 人 1.73% 、 ウクライナ 人 1.26 % 、 ア ヴァール 人 1.20% などであ る。 ロシア人の比率は、 1926 年の 10.7% から 1959 年には 55.9% にまで上がり、 1 的 5 年には 36% に下がっている。 カル ム イク人はジュソガリア ( 現 ・中国新彊ウイグル 自治区 ) から 力ル ムノキアに 17 世紀 初めから半ばにかけて 移住し、 ロシア帝国内に 力ルム ィク ハソ 国を形成し、 1646 年に ロ ンアと 条約を結んだ。 1771 年ジュソガリアへの 帰還を企て、 12.5 万人で出発したが、 ヴォ ルガ右岸にⅠ 万 10m ㏄家族がとり 残された。 エカチェリーナ 2 世の 1773 年からはロシアの 直 接 支配下にはいり、 北方戦争、 七年戦争、 祖国戦争などの 戦争ではロシア 軍に参加して 戦 っ た 。 19 世紀には遊牧地を 奪われ、 ロシア人農民の 移住 地 とされた。 第 1 次大戦には 20 万人 が 前線で戦い、 1917 年 3 月には国民軍を 編成して ドソ ・コサックとの 旧約を更新し、 1918 年 6 月 12 日に力ルムイク 大会が独立を 宣言したが、 1920 年赤軍が占領、 白骨を撲滅した。 1 920 年に カ ルムイク自治州が 形成され、 1935 年に自治共和国となった 0 大戦中の 1942 年多 くがドイツ軍に 協力し、 1943 年 12月には 10万人以上がシベリア、 ウラル ヘ 追放され、 自治 リ





共和国は廃止された。 自治共和国は 1958 年に復活される。 1992 年 2 月ハリム グ タソグチと 改称、 , 1993 年 4 月 キルサ ・イリュ ムジ ノフ大統領は 仏教を再興する 方針を明らかにした 0 力 ルム ィク 人は、 行政、

1 ㏄ 0 年第 1 回プラハを開き、 ソ



管理、 教育、 医療、 工業など各分野でロシア 人と対等かそれ 以上の比率を 占めており、 民 族 問の問題を平和的に 調整する前提をすでにもっていたよ



であ る。

羊の放牧、 ヵスビ海 沿岸での水産加工がおこたわれる。 天然ガスを産出し、 機械製作・ 金属加工工業があ る。 2.

フィン・ ウ ゴル語群諸民族 ブイソ



ゴル語群は 、 サモ エード語群とともにウラル・ユカギ



に ブイソ 語派 とウ ゴル語派にわかれる 人 、 カレリア 人 、 コミ 大 、 コミ・ベル

0 ミ

一ル語族に属し、 さら

ロシア連邦内のフィン 語派の民族は、 ウドムル



ヤク 人 、 マリ 人 、 モルドヴァ人で、 ロシア外には

ブイソ ランド 人 、 エストニア人などがあ る。



ゴル語派の民族は 、 ハソ ティ 人、 マソシ人、

ロシア外の ハソ ガリ一人であ る。 もうひとつのウラル 語族の サモエ ード語群の民族として は 、 ェネッ人 、 ヌガ ナサ ソ人 、 セリクープ 人 、 ネネ

る。

ゴル語群諸民族は、 1990 年に文化 国捺 フォ ソド を創設し、 Ⅰ㏄2 年にコミの ス クティフカルで 第 1 回フィ ソ ウ ゴル諸民族大会、 ハソ ガリ一で国 捺 研究会「ウラル 諸

フィ イ

ッ 人があ









民族の政治的・ 会議「フィ





言語的・文化的自治への 道」、 「最古 期 ウラル諸民族」、 コミで研究者円卓 ウ

ゴル地区の民族状況」などを 開催、 1 ㏄ 3 年には ブイソラソド で第 1 回国際

講 ム " ヱ 界 世 回 2 第 で ト シ ぺ ダ フ の ︵く トる ソ 、め ガて、

Ⅰ交 ル0人ウ

ルに川ザ

ウ㏄万タ

ソウ イ フソ

歴な のう

121

ロシア連邦の 少数民族

イ タ



Ⅰ, ︵

て・Ⅰ

ト卜



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Ⅰ﹁ 一 / / Ⅰ,

' イ"

治 Ⅰ 区 自 リノ オ ネ

ⅠⅠ





Ⅰ @Ⅰ -@ ⅠⅠ・Ⅹ

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Ⅱりソ ペトロせヴォック O

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一 " ナ 叩 -" ト 毛 Ⅰイ 正

㌔l ・.1 Ⅰ @く

@¥.

122

木村 英亮

ウト ムルト共和国 ウラル山脈の 酉、ヴォルガの 2 支流 力マ川、 ヴャト カ 川の間にあ る。 ゥドム ルト人は 30.92% 、 ロシア人 58.87% 、 タタール 人 6. ㏄ % などであ る。 もともとこの 地域は ウドム ルト人の土地てあ ったが、 5 世紀からロシアが 進出し、 5% Ⅰ

年に併合され、 ロシア人の移住によって 少数民族となった



0



7 世紀の バシ キール人の反乱

・ラージンの 古し、 8 世紀の プ ガチョフの反乱に 参加したのⅠ 920 年 ヴナ チキク 自 治州 設置、 1932 年ウ ドム ルト自治州に 改称、 19% 年 自治共和国となり、 1 ㏄ 2 年共和国を宣 言した。 やステパ





鉄鋼業、 自動車・機械製作をはじめとする 重工業地帯、 軍事工業もあ る。 カレリア 人

自称 ヵ リヤライゼト、 本来は ヵ リヤ ラニ 、 ラドガ 湖 付近では リヴギリ ャイ

ネ 、 リヴ ヴィキ ヨイ 、 オ ネガ 湖 付近では リュユ デイライネ、 リュ ユ デイキ ヨイ 。 13 万 900 人、 ド、



ちロシア連邦に 12 万 49㏄ 人 、 ロシア連邦カレリア 共和国に 7 万 8928 人、 レニ ソ グラー

ムルマソスク、アルハンゲリスク、 モスクワ、 ケメロヴォ の諸州に居住する。 東方正教。

人種、 言語とも同じフィンランド 人はスウェー デソ に、 カレリア人はロシアに 支配され ていたため別の 民族となった。 古くからラドガ 湖南東部に住み、 ノヴゴロド王国の 下で カ シリア地峡、 ラドガ湖北に 広がった。 東方正教を受け 入れ、 ロシア化した。 カ レ ア共和国 力シリア 人 9.99% 、 ロシア人 73.60% 、 ベロルシア 人 7.03% 、 ウク ライナ 人 3.57% 、 フィ ソ人 2.33% とロシア人が 4 分の 3 を占める 0 この地域は 9 一 2 世紀 初めキエフ・ロシアに 、 世紀からノヴゴロドに 2 、 478 年からロシア 国家に属した スウェー デソ は 、 155 年フィ ソラソド 南西部を占領、 293 年カレリアのヴィポルノに 進出したの グ スタフ 2 世はロシアを 破って 1617 年にラドガ 湖 中央を南北に 分ける国境を 定めた。 カレリ ア人の一部は、 重税とルタ一派への 改宗を避けてレヴェリ 付近に移住した。 ピョートル 大 苛 は 、 ゴヒ方戦争でスウェー デソ に勝ち、 721 年ニスタットの 和約でカレリア 地峡とラドガ

















湖 Ⅱ ヒ 岸を得、 さらにナポレオ

ソ 戦争で

ブイソラソド 全土を獲得したのロシア 革命後、 フィ

ソラソド の独立によって、 ロシアの国境 線は Ⅰ 617 年に近いものとなった

917 年ⅠⅠ月一 19 18 年 4 月 ソヴ,ト政権 が成立、 1920 年 6 月 8 日カレリア勤労コソム 一々 が 形成され、 1923 年 7 月 25 日カレリア自治共和国となった。 1939 年の ソ ・フィ ソ 戦争の後、 ソ連は 1721 年の 線 に進出した。 ソ連はこの戦争で 塊偲 政権 を樹立し、 フィ ソラソド 全土の併合を 企てたが、 失敗した。 カレリアは 1 ㎝ 0 年 3 月 31 日に カ レロ・フィ ソ 共和国へ昇格した。 第 2 次大戦後、 ヴィポルノ や ラドガ地峡のカレリア 人 40 万人が ブイソラソドヘ 移住した。 1956 年 7 月 16 日 自治共和国となり、 991 年ⅠⅠ月 カレリア共和国となる。 林業、 木材加工、 紙パルプ生産がおこたわれている。 0





コミ 人

コミ・モルト、 コミ・ ヴ ナイトゥル 、 ズイ リヤ ソ ( 古いロシア 名 )0 ロシア連邦

内に 33 万 63 ㏄ 人 、 コミ共和国に 29 万 15 ㏄ 人 、 アルハ ソ デリスク、 スヴ , ルドロフスク、 ム ルマソスク、 オムスク等の 州 、 ネ ネツ、 ヤマロ・ ネ ネツ、 ハソ ティ・ マソシ 等の自治管区 に 住 む。 コミ・ペルミャ ク人 、 ウド ム ルト人に近い。 ロシア文字を 使用し、 大部分は東方

正教であ る。

ロシア連邦の 少数民族



7

共和国、管区のコミ大とコミ・ペルミ

123



ャク

930

901

126

8

q4

951 126

9 7

O63

988 125

7

911

5

9O4 135

951

3

926 176

622

923 197

2

6

人ぺ

@ ト Ⅹ







ノン

スヘ ト

. ト Ⅹ

ココ

6 p

7 6

No

























Ⅹへ Ⅱ コ

8



33.6

シ クティフカル

ヴォルクタ

2 .2

イソ タ

8 .5 11.9

ペチコ ラ ウフタ

9.6

ウシソスク

4 .8

N0 .83, p .5 .

コミ共和国 2

ヨーロッパ・ロシアの 北東部にあ

がタイガであ



る0

り、 北は北極圏にはいり、

領域の 3 分の

に示したように、 1926 年にコミ人は 92.2% であ ったが、 1989 年に

7

は 23.31%(

表では 23.0%U に減り、 ロシア人が 57.70% となっている。 都市においても、 首 都を別としてコミ 人の比率は小さい ( 表 8) 。 その他、 ウクライナ 人 8.33% 、 ベロルシア 人 2.14% 、 タタール 人 2.08% 、 ドイッ 人 1,03% であ る。 人口 30 万人双後の民族を 代表させ、 現在のコミ人の 言語生活の状況を 示すための表 9 を 掲げたが、 農村の家庭においてさえ、 おもにまたはもっぱらロシア 語を使用する 者が 39.5 拷 となっている。

表9

コミ

語と ロシア語の使用

31.3 65 .9

農村の

コミ 人

仕事で 14.1 25.7



40.6

@

l

庭鉱

33.9



事 ㏄ 乙



l



五Ⅰ

のコ

話 に

コお

ミも

おもにロシア 語 ロシア語のみ

都市のコミ

庭 飢色 1 家

l

l

16.3 23.2

l

31.6

l

28 .6

N0.83. p.7. 6 一 10 世紀にコミ・ペルミヤク 自治管区の地域から 北上し、 12 一 14 世紀ノヴゴロドに 従

い、 14世紀からモスクフ 大公国に、 1478 年ロシア国家に 服属した。 1918 年

1

一 3 月に ソヴェ



木村 英亮

24

権 力が成立し、 1921 年 8 月 22 日にコミ ( ジ ヤソ ) 自治州が成立、 1936 年 12 月 5 日自治共 和国となった。 ㎎㏄年 9 月主権 宣言をおこない、 1992 年コミ共和国となり、 1994年 2 月 憲 ト



法を採択した。

主な産業は、 林業と石炭、 石油、 天然ガスの採掘で、 19 ㏄年代から第 2 次大戦後にかけ 開発された ぺチョラ 炭田、 建設された ぺチョラ 鉄道はとくによく 知られており、 木材、 石 炭 、 石油の基地として 重要であ る。 1 ㏄ 1 年都市人口の 減少が日立っている。

20 世紀まで

コミ・ペルミャ ク人

外の土地」を 意味する「 ぺラ

とよはれており、 同系であ る。 「国境の

マア 」に由来する。 ロシア連邦に 14 万 73 ㏄ 人 、 コミ・ペルミャ

万 駿 ㏄ 大 住む。 東方正教。 コミ・ ぺ )L ミャ ク 自治笛匠 1925 年 2 月 26 日成立。 伐採、 製材を中心とする 林業と酪農が 中心。 表 10 、 表 11 は、 10万人程度の民族の ア イ チソ ティティの状況を 表す 何 として示した。 ク

自治管区に



ぺ ルミャ ク人

表 10

9

コミ・ペルミヤクのさまざまなバループのアイデ



ティティ ( タ乙 )

Ⅰ㏄拷コ と





感じる





ぺ より

ロシア人 と

同程度に

たんにロシア

国民と

その他

23 .6

4 .7

14 .9

26.7

2 .0

5 .4

14 .3

20 .5

4 .4

37 .9

14.7

20 .0

23 .5

3 .8

農村全体

45 .5

13.1

14 .6

23 .5

3 .3

全体

37 .9

14.7

20 .0

23 .6

3 .8

都市の コ ぺ

22 .6

17 .9

31.

北コ





34 .6

21.8

甫コ





55 .4

管区全体





㏄ 歳 以下の成人

No



102 ,

表 11

p



13.



なたの民族を 誇りに 思、 いますか

(%)

無条件に

大体

むしろ百

全 体

39 .6

16 .8

14 .0

6 .5

18 .7

4 .4





30 .5

15 .2

18.

5 .7

27 .6

2 .9





44 .8

17 .9

12 .4

7Ⅱ

14 .6

5 .2

No



102 ,

p

13.

男性、 夫の意味 ) 、 チェレミス ( 古いロシア 名 ) 。 ロシア連 邦に 64 万 37 ㏄ 人 、 マリイ・エル 共和国に 32 万 44 ㏄ 人 、 バシキリアに 10万 57 ㏄ 人 、 タターリ アに 1 万 9500人、 ゥドム ルチアに 95㏄人など。 m 岳 、 草原、 東方の 3 グループに 分 げられ マ リ人

マリ、





全く否答えられないその 他

マリ イ ( 人間、

ロシア連邦の 少数民族

125

る。

山岳バループはヴォルガ 左岸に、 草原グループはヴェトル ガ、 ヴャト カ の市河の間に、 東方グループは 16 一 18 世紀にヴャト カ 川の東に移住し、 おもに バ シキリアに住む。 ロシア 文字を使用し、 キリスト教と 伝統的信仰からなる「マ リ教 」を信奉する。 東方マリ人はおも に伝統信仰であ る。 マリイ・エル 共和国 民族構成は、 マリ 人 43.29% 、 ロシア人 47.51% 、 タタール 人 5. 85% 、 チュ ヴァシ人 1.20% であ る。 マ 人は 10 一 12 世紀に フ ルガル人の経済的・ 文化的影 吾下 にあ ったヴォルガ・カマ 流域に住んでいたが、 1230 年代に モソ ゴル人に支配され、 15 リ

51 一 52 年に一部を除きロシアの 支配下にはいった。

1920 年 11月

自治州を形成、 1936 年 12月 5 日に自治共和国となった。 1 ㏄ 0 年 10月 主権 を宣言、 1992 年マリイ・ エ ル共和国となる。 1995 年 6 月に憲法を採択。 機械製作・金属加工が 中心で、 冷蔵 庫、 林業用機械が 生産される。 酪農もおこたわれる。 4 日マ



ロシア連邦に 107 万 29㏄ 人、 う ちモルドヴィア 共和国に 31 万田 00 人、 バ ン キリアに 3 万 1 ㏄ 0 人、 タターリアに 2 万 89 ㏄ 人 、 チュ ヴァシ に 1 万 87 ㏄ 人 、 サマラ州に 11 万 65 ㏄ 人 、 ペソ ザ 州に 8 万 64 ㏄ 人 、 オレ ソブ ルク 州 6 万 8 ㏄ 0 人などの他、 シベリア と極 京地方に 8 万人以上、 その他力ザフスタ ソ に 3 万人、 ウクライナに 1 万 93 ㏄ 大 住む。 エル モルドヴァ 人



ジャ、 モ クシャの 2 グループからなる。 東方正教を信ずる。 モルドヴァ共和国

民族構成は、 モルドヴァ 人 32.53% 、 ロシア人 60.83% 、 タタール

人 4.91% であ る。 モルドヴァ人は、 6 世紀に史書にあ らわれ、 1236 年の モソコ ルの侵入時 すでに一部が りャザソ 、 ノヴゴロド公国に 従っており、 1%0 年の クリコヴォ の戦いや 1552 年の カザン攻撃のさいもロシアに 協力した。 1917 年 11 月一 1918 年 3 月 ソ ヴェト権 力成立、 1928 年モルドヴァ 管区が形成され、 1930 年 1 月 10 日に自治州となり、 1934 年 W2 月 20 日自治共和国に 昇格した。 1990 年 m2 月主権 宣言、 1 ㏄ 1 年 12月大統領制となり、 1 ㏄4 年モルドヴィア 共和国となった。 1995 年憲法採択。 機械製作・金属加工が 盛んで、 自動車、 重機・電気機器、 家電製品、 医療器械をつくる。 食品産業もあ り、 セメ ソト 、 ガラスも生産の

(2)

ウ ゴル語派諸民族

ハンティ大 ア





ハ ソ ティ、 ハンデ 、 カソテク ( 自称 )0 ロシア連邦に 2 万 23 ㏄ 人、 9 ち ハソ

マソシ 自治管区に 1 万 1900 人、 ヤマロ・ネネ ッ 自治管区に 722QQ人 、

トムスク州に 80

4 人。 北 、 南、 東の 3 グループに分かれる。 北 グループは マソシ 人に、 南 グループはタター ル人に、 東 グループは セリクプ 人に近い。 フィ ソ ウ ゴル語族、 オビ・ ウ ゴル語派、 ロシ ・

ア 文字。 東方正教。

西 シベリアのオビ 川流域に住む、 狩猟・漁労 民 。

マンシ八

% ソシ ( 自称、 人間の意味 ) 、 ヴォグル ( 古いロシア語 ) 。 ロシア連邦に 83 ㏄ 人、

ハンティ・マンシ 自治管区に 6 ㏄ 0 人。 東方正教。 西 シベリアのオビ 川下流域左岸に 住む狩猟・漁労 民 。 ハンティ・マンシ 自治管区

民族構成は 、 ハソ ティ 人 0 93% 、 マソシ人 0 51% 、 ロシ ・



126

木村 英亮

7 人 66.31% 、 ウクライナ 人 11.57% 、 タタール 人 7.62% 、 バシキール 人 2.43% 、 ベロルシ ア 人 2.17% 、 アゼルバイジャ ソ人 1.00% などであ る。 Ⅰ

930 年 12 月 10 日形成、 940 年までチュメニ 州 オスチャコ・ヴォ プ リスク自治管区、 Ⅰ㏄5 Ⅰ

年 4 月に管区憲章制定、 ロシア連邦構成主体でしかもチュメニ

州を構成する。

1970 年代から開発が 始まり、 原油の大生産地となった。 油田開発について、 次のような 指摘があ

る。 「補償のための 建設がすべて、 施しのように、



格好つげ山のために、 煩わ

しさから逃れるためだけに、 無責任に、 心をこめないておこたわれている、 う げる 0 くソコ ロヴァⅠ

という印象を



(3) ネ



ウラル語族サモエード 詩語諸民族

ネツ入

ネネツ、 ハソ

ヴァ ( 人間の意味 ) 、

サモェド 、 ュラキ ( 古 ) 。 ロシア連邦に 3 万

42 ㏄ 人 、 ョ一 ロッ バ 北部、 西シベリア北部に 居住、 ネ ネツ自治管区に 巳 00 人、 アルハ ソゲ リスク 州 レシコ ソ 地区などに 800 人、 コミ共和国ゴ ヒ部、 ヤマロ・ ネ ネツ自治管区に 2 万 鵜 人 、 ハンティ ソ

・ネネ

ッ)

マンシ自治管区、 クラス / ヤ ルスク地方チュメ ソ州 、 タイムイル

(

ドル ガ

自治管区に 24 ㏄人柱 む 。 ウラル語族サモジ ー 語派、 ただし今日多くのネネ ッ

人はロシア語化している。 人口の少ない 森林ネ ネッ はとくにその 傾向が大きい。 1932 年ラ テ ソ 文字、 その後ロシア 文字。 ロシア と西 シベリア北部の ッソ ドラ帯に居住する ッソ

ネネ ッとエ ニセイ川中流より 北の森林帯に 住む森林ネネ イ

の飼育、 森林では狩猟、 漁労に従





ドラ・

とがあ り、 ッソドラ ではトナカ



セりクプ人 ロシア連邦に 35 ㏄万人、 ヤマロ・ネネ ッ 自治管区のクラス ノセリクプ 地区 とチュメニ州の 他の地区に 1632 人居住。 北方、 南方の 2 グループに分かれる。 ドルガン 八

ドル ガソ 、

トイ

ブキヒ 、 サハ。 ロシア連邦に 6 品 4 人、 クラス ノヤ ルスク 地

方 タイムイル自治管区などに 住む。 チュルク 語 。 ヌガ ナサン八

二 ヤ、 サモエド



タヴギ ( 古名 )0 ロシア連邦にⅠ 262 人、 タイムイル自治

管区に 849 人住む。 東方正教、 伝統的信仰もあ る。 エンツ人

工 ネチ , ( 人間 ) 、 エニセイ・ サモェド ( 古 ) 。 ロシア連邦にⅠ 98人、 タイム



ル 自治管区に 103 人居住。 東方正教。

民族構成は 、 ネネ ッ 人が 11.91% を占めるが、 ロシア人は 65.83% 、 コミ 人 9.50% 、 ウクライナ 人 6.91% 、 ベロルシア 人 1.95%0 1929 年 7 月 15 日形成 0 ほ ほ全 域 が北極圏内で、 ッソドさ と森林 ッソドラ 、 一部が北方タイガに 入る。 トナカイや毛皮獣 ネ ネツ自治管区

飼育、 狩猟。 天然ガスを産する。 タイム イ似 ドルガン・ネネ ツ ) 自治 笹 区 民族構成は、 ドルガン 人 8.85% 、 ネネッ人 4. 睡拷 、 ヌガ ナサ ソ人 1.52% 、 ェソッ人 0 18% 、 ロシア人 67.09% 、 ウクライナ 人 8.63% 。 19 ㏄ 年 創設。 ノリリスク市を 管轄 下 にいれようとし、 クラス ノヤ ルスク地方と 紛争があ る。 ・

漁業、 トナカイ放牧、 毛皮獣飼育、 天然ガス、 銅 、 ニッケルを産する。 ヤマロ・ ネ ネツ自治 笹 区 民族構成は、 ネ ネツ 人 4.23% 、 ハソ ティ 大 1.46% 、 セリ ク プ人 3.09% 、 ロシア人 59.17% 、 ウクライナ 人 17.18% 、 タタール 人 5. 巳好 、 ベロルシア 人 2.55% 、 バシキール 人 1.38% 、 コミ 大 1.16% 、 モルドヴァ 人 1.13%0 1979 一 89 年の 10 年に、

ロシア連邦の 少数民族

127

天然ガス開発のため 3.1 倍となったが、 なかでも べロ ルシアム 5.9 倍、 ウクライナ 人 5.4 倍、 ロシア人 3.1 倍に対し、 ネネ ッ 人は 1.2 倍であ ったので、 ネネ ッ 人の比率は 11.0% から 4,23 イ へと一挙に半分以下となった。 同様の現象は、 ハンティ・ マソシ 自治管区の ハソ ティ 大、 マソシ 人についても 言える。 1930 年 12 月 10 日形成。 ロシアの天然ガスの 9 割を産出する。 3.

チュルク語群諸民族 チュルク語群諸民族は 、 モソ ゴル語群、 ツソ グース・満州語群の 諸民族とともにアルタ



語族に属する。 旧ソ連の構成共和国の 名称民族であ る、 中央アジアのウズベク 人 、 カザフ 大 、 キルギス

人、

トルクメ ソ人、 ザ カフカ ジェ のアゼルバイジャ ソ 人は 、 チ ュ ルク語群の民族であ る。

ロシア連邦内では、 沿 ヴォルガ地域の



タルスタ ソ を 中,むに、 ウラル地域の バ シコルトス

タソ 、 ヴォルガ・ヴャト カ 地域の チユダァシ の 3 共和国の名称民族がおもなものであ

り、

ずっと東には、 西 シベリアのアルタイ 共和国、 東シベリアのトゥイヴァ 共和国、 ハ カシア 共和国の名称民族であ る。 北 カフカスの諸民族でとりあ げた、 カラチャイ 大 、 バルカル 人 、 クムィク人、



ガ イ人 、 1. でふれたドル ガソ 人もチュルク 語群であ り、 他に本稿でとりあ

げなかった極東地方サハ 共和国のヤクート 人 、 チュメニ州などに 居住する ガガゥズ 人など があ る。

表 12

ロシアのもっとも 多い民族の分布

(%) C I S

ロシア人

7 .5

75.1

17 .4

16.9

20 .9 17 .2

35 .6

ウクライナ 人 ベロルシア 人

16.1

83 .9

タタール 人

26 .6

82 .8

バシ キール 人

59 .6

1.7

31.5

7 .2

チユダァシ人 モルドヴァ 人

49 .2

14 .8

32 .3

3 ,7

27 .2

7.2

58 .6

7 .0

Denisova, p 77. ・

タターノ し人

タタール

( 自称 )0

ロシア連邦に 552 万 2 ㏄ 0 人、 うちタタルスタンに 176 万 54

00 人、 バシキリアに 112 万 7 ㏄ 人 、 ウド ム ルチアに 11 万 500 人、 モルドヴィアに 4 万 7300 人、 マリイ・ エ ル共和国に 4 万 3800 人、 チュ ヴァ シ フ に 3 万 5700 人など分散して 居住し、 その 他力ザフスタ ソ に 32 万 79 ㏄ 人 、 ウズベキスタ ソ に 46 万 78 ㏄人など中央アジアにも 多く、 ア ゼルバイジャ ソ、 ウ ク ラ イ バルト 3 国にも住み、 総人口は 6 包 万 8700 人。 これまで 各 民族について 見て き たように、 ロシア連邦の 大部分の共和国や 自治州、 自治管区でも コ シ





28

木村 英亮

ア 人が最大の比率を

に示したよ



占めており、 名称民族の人口比率は 必ずしも大きくない。 また、 表 12

に、 自分の名称を 冠した地域組織



げに住んでいるわけではない。 このこと

は 、 タタール人や バシ キール人に典型的に 表れているのであ る。 スソナ 派イスラム、 一部

東方正教 ( クリャシャ ソ ) 。 カシモフ・タタール 人 ケチム





タルラ ル または ケチム ・ハルク

おもにリ ヤサソ州 カシモフ市に 住む 0 ス ソ チ 派イスラム

( 自称 )

㎎㏄ 人 以上、



クリミア・タタール 人 クリム・ タ タルラ ル ( 自称 ) ロシア連邦に 2 万Ⅰ300 人、 ウクラ イナ に約 27 万人、 その他ウズベキスタ ソ に住む。 ロシア文字を 使用していたが、 1 ㏄ 2 年か ら

ラテソ 文字。 スソナ 派イスラム。

15 一 18 世紀にクリミア・ハン 国をつくっていたが、 1783 年にロシアに 併合された。 第 2 次 大戦前自治共和国をもっていたが、 大戦中シソフェロポリのイスラム 教徒大会でアサノ フ・ ハソ を首班とする「クリミア 政府」が樹立され、 ドイツに協力したの 解放後のⅠ 944 年 5 月 11 日付げの決定で 中央アジアに 強制移住させられた。 1 ㏄ 7 年この決定は 取り消されたが、 現在クリミア 半島にはロシア 人、 ウクライナ人など 107 の民族、 戦前の 2 倍の人口が住ん でおり、 共和国の復活は 困難であ る。 また、 戦後 1954 年にロシアからウクライナ へ この地

域の帰属が変わった。 ,ン ベリア・タタール 人

シビルタル、 シビルタタルラ

ルく 自称 )

ロシア連邦に 約 Ⅰ 9 万人、

つの民族として 認めるよう要求している。 カザフスタ ソや トルコにも約 2 万人住む。 タタルスタン 共和国 民族構成は、 タタール 人 48.48% 、 ロシア人 43.26% 、 チュ ヴァ 、ン人 3.69% 。 ヴォルガ・ブルガルは 9 世紀末 一 10 世紀初めに国家を 形成したが、 13世紀前 半から 15 世紀半ばまで キ プチャク・ ハソ 国に属し、 チュルク、 モソコ ル と 混血した 0 その 後 14% 年に生まれた カザソ ハソ 国は 1552 年、 ロシアのイヴァン 電荷によって カサソ を 占 領され、 滅んだ 0 7 ㏄ 年 イスラムが公認され、 792 年 はトルケスタ ソ 、 イラ ソ 、 中国と 交易する梅木Ⅰを 与えられ、 ロシアとイスラム 世界の通商を 支配するうになり、 ジヤテ デイ ズムと 呼ばれるイスラム 社会改革運動の 中心となった。 1917 年には 10 月 26 日に ソ ヴェト権 力が成立、 1918 年には広くこの 地域の諸民族を 結集する「イデル・ウラリ 国家」 (「ヴォルガ・ ウラル共和国」 ) の創設も試みられた。 タタルスタ ソ を超えたブルガル・ムスリム 共同体を つくろうとするヴァイソ プ チ ナ の運動もボリシェヴィキの 反対で実を結ばなかった。 1920 年の大ブルガル 国家別 9 を求める農民蜂起も 鎮圧された。 1920 年 5 月 27 日夕タール自治兵 和国成立、 19㏄年 8 月主権 宣言、 1 ㏄ 1 年大統領選挙が 行われた。 産出する石油・ 天然ガスを利用する 石油・化学が 発展し、 大型自動車工場もあ る。 工業 1







ゃこ



生産の落ち込みは

バシ キール 人

小さく、 失業率も低い。 パシコルト

㏄ 0 人など、 カザフスタ



( 自称 )

ロシア連邦に 1% 万 5 ㏄ 0 人、

に 4 万 1800 人、 ウズベキスタ

ソに



ち バ シキリアに㏄ 万 3

3 万㎎㏄ 人 、 総人口は 144 万 92

㏄ 人 。 ロシア文字、 ス ソ チ 派イスラム。 バシコルトスタン 共和国

民族構成は、 バシキール 人 21.91% 、 ロシア人 39.27% 、



タール八 %.42% などで、 名称民族の バシ キール人はロシア 人、 タタール人より 少なく 第

ロシア連邦の 少数民族

129

位であ る。 とくに都市ではこの 傾向が強く、 首都のウファでは、 ロシア人出・ 2% 、 タター ル 人 27.0% に対し バシ キール人は 11.3% に過ぎない。 9 一 10世紀の文献にはじめてあ らわ れる。 10一 13世紀、 ブルガルの影響を 9 けたが、 1236 年モ ソ ゴル車に征服され、 1557 年ロ 、ンア の支配におかれた 後も、 言語、 文化の面でタタール 人への同化が 進んだ。 1917 年 12月 に成立した政府は、 1918 年 1 月末赤軍に解散され、 コルチャク側についたが、 1919 年モス クワ の ソ ヴェト政府と 協定し、 3 月 23 日 バシ キール自治共和国が 成立した 0 1922 年 6 月Ⅰ 4 3

日に大バシキリアを 形成した 0 1992 年 2 月 バ シコルトスタ

人の

4

割以上が



ウファ県の タ タルスタ

ソ 共和国となる 0

現在タタール

ソ 帰属を望んでいる。

石油、 天然ガスを産出し、 関連産業の比重が 大きい。 褐炭、 鉄、 金も産し、 金属加工・ 機械製作も発展している。 農業は小麦、 乳牛、 肉牛。 チュヴァシ人

チャ ヴァシ ( 自称 )0 ロシア連邦に 177 万 36 ㏄ 人 、



ちチャ ヴァ シ フ に 90

万 70 ㎝ 人 、 タターリアに 13 万 42 ㏄ 人 、 バシキリアに 11万 8 ㏄ 0 人、 サマラ州に 11 万 78 ㏄ 人 、

リアノフスク 州に 11万 65 ㏄ 人 、 モスクワ と モスクワ州に 3 万 20 ㏄人など、 連邦外では カ ザフスタ ソ に 2 万 2300 人、 ウクライナに 2 万 4 ㏄人などで、 総人口はⅠ村方 23 ㏄人であ る。 東方正教。 チュヴァシ 共和国 ( チャ ヴァシ 共和国 ) 民族構成は、 チュ ヴァシ人 67.78% 、 ロシア 人 26.69% 、 タタール 人 2.67% 、 モルドヴァ 人 1.40% で、 チュ ヴァシ 人の比率が大きい。 ウ

ブイソ ウ ゴル系先住民が 、 東か南東から き たトルコ系民族と 混血して 15世紀ころ形成 された。 カザン・ ハソ回 、 のちロシアに 支配された。 ・

1920 年

月にチャ ヴァシ 自治州を形成し、 1925 年 4 月自治共和国に 昇格した。 1990 年 主 権 宣言、 1992 年に共和国へ。 1 ㏄3 年以後のロシアの 政治情勢のなかで、 チュ ヴァシ 知識層 の民族運動には 分裂が生まれている。 6

機械製作・金属加工、

石油化学など 重化学工業が

発展し、 酪農、 養豚、

養鶏もおこ たわ

れる。 アルタイ・キジ ( 自称、 アルタイの人の 意味 )0 アルタイ共和国、 アルタイ 地方、 ケメロヴォ 州に住む 0 ロシアに 6 万 94 ㏄ 人 、 アルタイ共和国に 5 ガ 9100 人、 カザフ スタンに 689 人、 ウズベキスタ ソ に 191人、 総人ロ 7 万 8 ㏄ 人 。 チュルク 語 、 キルギス・ キ プ チャク語派、 ロシア文字、 東方正教、 シャーマニズムと 仏教の合同した「ブル 八二ズム」が アルタイ 人

る。 ,ンヨ/L人 ショル ( 自称 )0 ロシア連邦に 1 万 5700 人、 ケメロヴォ州、 ハ カシア、 アルタ イ両共和国などに 居住、 総人口は 1 万 6600 人。 東方正教。 アルタイ共和国 民族構成は、 アルタイ 大 30 ・㏄堵 、 ロシア人㏄・ 36% 、 カザフ 大 5.60 % で、 アルタイ人は 南部に、 ロシア人は北部に 多い。 アルタイ地方のアルタイ 人は 0 18% 、 あ



ケメロヴォ 州では 0 . 08% 。 トナカイ飼育と

狩猟、 採集に従う北バループは、

の飼育、 農耕 民 の 南 グルーブは 、 モソ ゴル系の

「森林のタタール」と

オ イロート人や

呼ばれた。 烏 牛羊

力ルム イク人の支配下にあ

130

木村夫 亮

り、 922 年 6 月Ⅰ月一Ⅰ 948 年Ⅰ 月 7 日オイロート 自治州、 毬 年以降ゴルノ・アルタイ 自治 州とされ、 91 年 9 月ゴルノ・アルタイ 共和国、 92 年アルタイ共和国となった。 食品、 繊維、 皮革工業があ る。 農業は羊、 m 羊の放牧がおもであ る。 土地私有意識は 弱 Ⅰ

い。

ハ カス 人

ダル ( 自称 ) 、 ホ オライ。 ロシア連邦に 7 万 85 ㏄ 人、 ハヵ シア共和国に 6 万 29 ㏄ 人 、 トゥイヴ ァ に 2 ㏄ 0 人、 クラスノキルスク 地方に 52 ㏄ 人 、 総人口は 8 万 3 ㏄ 人 0 チュ ルク 語 ウイグル語派、 ロシア文字、 東方正教、 「プル八二ズム」の バ アソト 。 ハ カシア共和国 民族構成は、 ハ カス 人 11.09% 、 ロシア人 79.46% 、 ウクライナ 人 2. 33% 、 ドイッ 人 1.98% であ る。 タ



この地域には 紀元前 3 世紀の南シベリア 最大のサルブ イク 古墳があ る。 現在 ハ カス人は

南シベリアのミ スシソ スク盆地に住む 牧 農民。 9 世紀半ばウイグル 人に勝ち、 強力な国家 を 建て、 13 世紀にモンゴルに 滅ぼされるまで 700 年続いた。 16 世紀オイロート 人に支配さ れた諸種族は、 中央アジアにまで 広がった。 16 世紀ロシア人が 税 として毛皮などを 集める ようになり、 17 世紀には銅鉱の 発掘が始められた。 18世紀初めに エ ニセイ・キルギス 人の 支配 層が ジュソガリアを 経て中央アジアに 移住した後、 南 シ ペリアに残った 諸部族が集まっ て ハ カス人を形成した。 1756 年ロシアの支配を ぅが いれたが、 1911 年のタンヌ・トゥ ヴァ の 独立宣言は民族主義を 刺激し、 1918 年 1 月 26 日に独立を宣言した。 しかし、 1923 年クラ ス / ヤ ルスク地方に ハ カス郡が設置され、 ハ カス民族管区を 経て 19 ㏄年 10 月 20 日に ハ カス 自治州に昇格した。 1991 年 7 月に自治共和国となり、 1992 年 2 月 ハ カシア共和国となる。 石炭、 鉄鉱石、 非鉄金属、 大理石を産し、 車桁工場、 コソテナ工場があ る。 羊を飼養し、 穀物、 トマト、 スイ カ などが栽培される。 世界最大の サヤソ ・シュシ ェソ スコ二水力発電 所があ る。 トゥヴ 7 人

トゥイヴ ァ、 ソ イオ トイ、 ソ イオ スイ、 ウ リヤンハイ、 タソヌ



トヴヴァ 。

ロシア連邦に 20 万 62 ㏄ 人 、 トイヴ ァ に 19 万 8400 人、 その他 モソコ ルに 2 万 50㏄ 人 、 中国新

彊ウイグル自治区に㏄㏄ 人など。 総人口は 23 万 5000 人。 ロシア文字、 ラマ仏教、 シャー マ ニスム も残るの

ヴア 共和国 民族構成は 、 ヴァ 人 64.31%(95 年 65%) 、 ロシア人 32.03%(28 %Y であ る。 トゥ ヴァ人は、 エニセイ川原流域に 住むチュルク 譜系牧民で、 この地域では 古くから何 奴、 鮮卑、 柔然、 突 族 、 ウイグル、 キルギス、 モソコ ルなどが興亡した。 13 世紀に チソギ トゥイ







ハソ の モソコ ルに征服され、 3 ㏄年にわたる 支配の下で モソコ ルの 形 番を強く



げた。

1757 年には清朗の 支配が確立した。 18 世紀に モソコ ルからラマ教が 伝わる。 1869 年の ウリ ヤ スタイ 界約 によってロシアと 清の間の境界が 決定されたが、 1870 年代からロシア 人が入 り、 清朝崩壊後の 1914 年ロシア帝国保護 領 となり、 1917 年ロシア革命によって 1921 年 8 月 14 日夕 ソヌ ・トゥヴァ人民共和国として 独立し、 その後 1922 年の人民革命党第 1 回大会で ロシア人を顧問として、 勤労アラ



( 牧民 ) の前衛党人民革命党が

発足した。 モソ ゴル人民

ロシア連邦の 少数民族

3





ム @ 円 "

" Ⅰ -"" フ

ス , f一 ・ ./ し Ⅰ Ⅰ / ヤ ノ

ノン イ ト @ Ⅰ ハ @ Ⅰ Ⅰ@ @@

O カシア 共 和 国 ハ ト ・ Ⅰ. Ⅰ Ⅰ@ / . / Ⅰ 1 、 .. 1 ⅠⅡⅠ・Ⅰ: ケメロヴォ" 川 も "'"' く 地 /ⅠⅠ イ ・ タ し ア ㍉ 共和国とは

131

1926年に友好条約が 結 はれ 、 1923年 32年に一部の国境変更がおこたわれた。

19

31 年ソ連の影響下に 牧民の集団化に 着手し、 1933 年にはソ連・モソゴル・ トゥヴァ 3 国の 通商を管理する 商社が設立され、 ソ連との経済関係がいっそう 緊密となった 0 1930 年ラテ ソ 文字を導入、 41年ロシア文字とされた 0 19% 年 10 月ⅠⅠ日ソ連に 加入し、 その自治州となっ た 。 1961 年 10 月 10 日自治共和国に 昇格し、 民族意識の強まるなかで

1 ㏄0 年

7 一 8 月人デモ

が行われ数百人が

死傷し、 この後ロシア 人など 3000人が国覚に移住した。 1991 年には主権

宣言を行って

ヴァ人民共和国となり、 ソ連解体後は



トゥ

トゥ

ヴァ共和国となり、 1992 年 3

には大統領選挙がおこたわれ、 ロシア連邦に 加わった。 その後トゥイヴァ 共和国へ名称

を変え、 モソコ ルとの連携を 強めようとしている。 ロシア人は、 教育面などの 民族的・ 文 化 的自治を形成し 始め、 国外への移住が 成ってきている。 トゥ ヴァ盆地、 タソヌ ・オラ山脈南面では、 馬、 牛、 羊の牧畜と狩猟、 大麦、 きびが 栽 増 され、 北東部のトジャ

地方では狩猟がおもで、 トナカイが飼育される。

132

木村文亮

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